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一人っ子として生きてきて。

半世紀くらい生きてきて、今更「ひとりっこ」だからどうのこうのという年齢ではないのだが、まぁ書いてみよう。

一人っ子が珍しかった時代に生まれて

1960年代の標準と言われた家族は両親と子どもが二人だった。子どもはできれば男女一人ずつが望ましい。父親は働いていて母親は専業主婦で。もちろんそうじゃない家族の方が多かっただろうけれど、家族という言葉のイメージはこんな感じだった。

一人っ子であるだけでいじめられて

近所の子どもたちには兄弟姉妹がいた。でも遊ぶ時にはみんな一緒になって遊んでいたので、わたしが一人っ子だということは問題にならなかった。けれど小学生になると事情が違った。

なぜかわたしは一人っ子であることを理由に時々いじめられた。なんだか納得出来なかった。

「差別」という言葉を覚えて

学校で「差別」というものが世の中にあると習った。本人に責任のないことで不当な扱いを受けるのが「差別」というものらしかった。

これを知ったわたしは、一人っ子だからといじめられるのは「差別」なんじゃないかと思うようになった。

一人っ子のよさもあって

一人っ子だからといじめていた同級生は、一人っ子がうらやましかったのだろう。今ならそう思える。

一人っ子のよさとして思うのは、親の介護を押しつける相手がいないことだ。わたしが看るしかないのだからしょうがないじゃん、のようなものだ。

なるべく隠して

一人っ子はわがままだと思っている人は多い。だからわたしはなるべく一人っ子であることを隠している。「長女だろう」と言われて「ハイ、そうです」と明るく答えたりする。ウソはついていない。

なるべくなら一人っ子であることは知られずにすませたいと思ってきたし、今も思っている。一人っ子であることで何度も嫌な目に遭ってきた。

この文章を読んで、「そうか、なるほどなー」と思われているかもしれないと思いながら書いている。

だから友達が大切になって

兄弟姉妹のいる友達には、一人っ子でよかったねと言われることが増えてきた。年を取るごとに増えている。

一人っ子にとっては友達は命綱だ。親に理解できない問題が生じた時に相談できる友達がいるかどうかは大きな問題だ。だからわたしは友達は大切にしたいと思っている。やっぱりわがままだな。

最初に出会った「差別」として

簡単に「一人っ子差別」という言い方はしたくないけれど、わたしが自分を差別される側だと意識したのはこれが初めてだった。一人っ子でなければ「差別」というものに対するわたしの関心の持ちようが違っただろう。

ここから始まって様々な「差別」があるのはなぜなのだろうという疑問がわたしの頭の中に住み続けることになる。結果、わたしの人生がいろいろと変化していく。

具体的には高校生の頃の出来事になっていく。どのようなことがあったのかはまた、別の文章にしたいと思う。というわけで、


【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。


追記:2021年11月28日

この記事を「ひとりっこ」を育てる方が読んでくださることがあります。何の参考にもならなくて申し訳なく思います。

ひとつ思うのは、わたしの母は、わたしがひとりっこだから甘やかしてはいけないと思って、厳しく育てたと言います。

でも今は、もっと優しく愛情深く育てればよかったと後悔しています。

でもわたしは愛情不足を感じたことはありません。ひとりっこでも幸せに生きていることも知ってもらえると嬉しいです。




地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)