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フィギュアスケートを見る度に思い出す。あの寒かった日のゆううつ。

子どもの頃、冬になると一度はアイススケートに連れて行ってもらった。

こんな風に子どもの頃を振り返ると、あの貧乏生活の中にどうしてこんな余裕があったのだろうと不思議に思う。年に二度くらい、美術館にも連れて行ってもらっていた。

フィギュアスケートを見ると

毎年、フィギュアスケートのシーズンになると我が家のテレビは必ずそのチャンネルに合わせられる。

認知症の父は「昔、スケートに何回も行ったけど全然滑られへんかったやんな。手すり磨きやったな」と話し出す。一言一句違わず、丸暗記したように言う。

またかと思うわたしの頭には別の風景が浮かぶ。

案外難しい靴選び

学童保育の泣き所は長期の休みだった。特に夏休みは辛かった。それに比べると冬休みは短いし、学童保育自体が年末年始には休みになる。

9人の子どもたちをひとりで見るのは重労働だけれど、たまに他の学童保育との合同行事がある。ベテランの先生がいるのでありがたかった。

冬の行事はアイススケートだった。子どもたちはスケートが好きだ。しかし滑る前がたいへんだった。それぞれの靴を選ぶ。履いてみないと合うかどうかわからないので、とにかく履かせて紐を結んで、という作業を繰り返す。

なんとか9人の準備を終わらせて、やっとスケートリンクに向かう。スケートリンクには監視員がいるので、ちょっとは手が抜ける。手を抜くことしか考えてないな。

ふと、合同で来ている第1学童の様子を見ると、子どもたちが地面に座って、それぞれ懸命に紐を結んでいる。

自分のことは自分で

系列の学童保育では「自分のことは自分で出来る」「自分で考えて行動出来る」こういう子どもを育てるという理念があった。わたしがいる第2学童の壁にも掲げられている。

しまったと思ったけれど、もう遅い。

毎年一度は来ているだけに、高学年の子ども三人はうまく滑る。低学年には怖いと手すりから離れない子もいる。手を引いて滑ろうと思って近づいた時、笛の音がけたたましく響いた。

監視員さんが何か叫んでいる。なんだろうと見ると、第1学童の子どもの靴紐がほどけている。危険だからリンクを出ろと注意されていた。

スケートを楽しむ以前に

慌てて外に出たわたしは子どもの靴紐を直した。紐は全く結べていなかった。この状態でリンクに上がるのは危険としか思えない。

するとまた笛が聞こえた。今度はさっきの高学年三人組が数珠つなぎになって滑っていた。手をつなぐのは二人までと決まっている。

注意しに行こうとしたら、また笛が鳴った。第1学童の子どもだった。同じように紐がほどけていた。

リンクにいる1時間半で、5人の靴紐をわたしは直した。

帰り道の子どもたちは文句ばかり言っていた。滑る時間が短いことが不満だった。加えて、わたしが第1学童の子どもの面倒ばかりみていたというのも不満の原因になっていた。

保護者会は寒い

月に一度、保護者会があった。わたしはスケートの時に子どもたちから出た不満について説明した。

スケート靴の紐は子どもが結ばないといけないものでしょうかと質問した。なにせ学童の理念は学童を作った親の理念なのだ。

以前、臭いと言っていじめられているNちゃんのことを保護者会で相談した。Nちゃんはお母さんが家出して、お父さんとおばあちゃんとの三人暮らしだった。あまりお風呂にも入れてもらえず、洗濯も十分ではなかった。

すると保護者会の意見は、もう4年生なのだから洗濯くらい自分で出来る、お風呂にも入れる、というものだった。自分の子どもがいじめているということよりも、Nちゃんが自立していないことの方が問題だった。

今回も、自分で紐を結べない子どもが悪いと言われるのかと思っていたら、何も言われなかった。先生もたいへんやねと的外れなことを言われた。


華麗なフィギュアスケートを見ながら、あの日のことを考える。年に一度の与えられた楽しみと、危険でも自分でやることの大切さと、どちらを重視すればよかったのだろう。わたしは今も子どもたちに説明できないままだ。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。


写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。


地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)