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どうしても上れない坂道。華やぐ道が崖のようだった夕方。

大学に通いやすいようにとひとり暮らしを始めたことで、わたしの毎日がまた変化していった。

坂道を上らないと着かない教室で

4時から始まる講義のために、わたしは坂道を上っていた。すれ違う元気な女子大生の波に溺れそうになった。

資格取得のためには毎週この坂を上って、文学部の講義をひとつ受けなければならなかった。実はこの講義のために一年休んだという面もあった。

しばらくすれば上ることが出来るようになると思っていた。

でも実際には、簡単なことではなかった。他に道はないかとキャンパスをうろうろしたのだけれど、やはりあの坂道を上るしかないようだった。

初めてのひとり暮らしで

大学の近くでわたしは4月からひとり暮らしを始めた。学生用のワンルームマンションの敷金は母が出してくれた。毎月の家賃と生活費は、今までの貯金とアルバイトでなんとかする。

ひとり暮らしを始めたことで、ひとつよかったのは介護に行きやすくなったことだ。何時に家を出ても何時に帰っても問題ない。夕食をどこで食べても問題ない。

あの頃のわたしの食生活を支えてくれたのは、アルバイト先のまかないと介護先での食事とお友達の家でいただく食事だった。

お惣菜やさんのまかないで

サークルに来ている子どものお母さんの友達という遠い縁の人に誘われて、お惣菜屋さんで働くことになった。

働き始めて、こんなにわたしに向いていない仕事があるのかと感心した。手際が悪いし、指示されるまで動けないし、とにかく使えない。

お惣菜屋さんには、まかないがあった。ある日は豚汁を作ってくれていた。「誰か味見して」と担当の人が言ったので、わたしが味見をしようとした。

すると、「こうちゃんが味見したら時間がかかるから他の人がやって!」と叫ばれた。もちろんわたしは沈んだ。でも沈むことにも慣れてきた。

幸せな家庭の夕食で

お惣菜屋さんの仕事に誘ってくれた人だけはわたしに何も言わなかった。

時々お宅に招いてくれて、夕食をごちそうになった。旦那さんもおおらかな人で、わたしが度々お邪魔しても、いつも歓待してくれた。

「温かい家庭」というものがあるとしたら、このお宅のような生活だろうか。初めてビクビクする心配もなく食事をした。おいしいのでテーブルの上には何も残らないくらい食べた。すると喜んでくれて、また来てと言われた。幸せだった。

やっぱり坂は上れなくて

文学部への坂道は、変わらず女子大生が歩いていた。当たり前だ。当たり前の風景を見ながら、坂を上れないという当たり前ではない自分を見つめた。

もしかしてわたしは病気なのではないかと疑ったのもこの頃だ。講義で学んだ精神病を思い出した。大きな本屋さんで専門書を立ち読みした。今と違って、精神科にかかる病気はポピュラーではなくて、知識を得るには専門書を読むしかなかった。もちろんネットもない時代だ。

ところがいくら探しても、わたしにぴったりくる症例はなかった。鬱病だとしたら、必ず出る症状として「不眠」があったからだ。

ある日、黒い背表紙の本を立ち読みしていたら、「不眠(あるいは睡眠過多)」と書いてあった。これだ!わたしは自分が病気なのかもしれないと思った。

けれどわたしは、このことをいつの間にか忘れていた。曲がりなりにも働けていたからだ。

Uさんは、働けていることでこうちゃんが苦しむこともあるのよ、と言った。言われた時には意味がわからなかった。

結局わたしは文学部への坂道を上れないまま、卒業することになる。





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