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まだフェミニズムという言葉が身近でなかった頃。ひとつの新聞連載がわたしの苦痛をすくい上げてくれた。

アイスを片手に晴れ晴れとせず

「女ラグ」の楽しい日々も引退試合で見事に一回戦負けしたところで終わった。しかもスタメンに入れなかった。理由は前日に右足首を捻挫したからという情けないものだった。

そんなある日、アイスを食べながらわたしは新聞を読んでいた。新聞の投書欄が特に好きだった。当時は朝日新聞だったので、投書欄は「声」というコーナーだった。声欄が載っているページで、ひとつの連載が始まった。

なんとなく読んでいたのだけれど、途中から熱心に読むようになった。それが「二十世紀の軌跡」シリーズの中の「女たちの歩み」だった。女工哀史の時代の女性の地位からウーマンリブ運動の終わりまで、丁寧に緻密に書かれた連載だ。

と書いてきて確認したら、この連載が始まったのは1983年10月4日でした。夏ではなかった。それなのにアイスを食べていたのでした。

担任に叩かれた小3の理不尽

小学3年生の時のこと。後ろの席の友達としゃべっていたわたしの足を突然、担任が叩いた。「女の子なのになんていう格好をしてるの」と担任は怒った。

叩かれた時、わたしはひざ丈のスカートをはいていた。後ろの席の友達と話しやすいように椅子を斜めに倒していた。足はバランスを取るために大きく開いていた。

足を広げて座るなどということは日常的なことで、周囲を見渡してもそういうクラスメイトはいた。どうしてわたしだけが叩かれなくてはならないのか。この理不尽な仕打ちが原因で、担任のことが大嫌いになった。

「女だから」では納得できず

「女なのに」という理由がわたしは嫌いだった。自分が女であることにも拒否感があった。女であることを理由に扱いを変えられることに納得がいかなかった。

いつの頃からかわからないけれど、わたしはスカートを履くことが出来なくなっていた。だから制服を着る中学生になるのが苦痛だった。しかし決まりだから仕方がない。わたしは決まりには従う人間だった。

最近は女生徒も制服でスラックスを選べる学校が増えている。いい時代になったと思う。この「いい時代」を作るために女性たちの闘いがあったことを忘れてほしくないと思っている。

なにかと「女のくせに」と言われるのも悔しかった。同じことをしても男だったら褒められて、女だったら生意気だと言われるのも理解できなかった。

とてつもない数の理不尽が

「女である」という理由で理不尽な思いをしてきたわたしは、このたくさんの理不尽の正体を、「女たちの歩み」という新聞連載で知ることになる。

あの言葉も、こんな辛さも、全部わたしが「女だからなのだ」と、他人の言葉で語られた。ひとりで怒ったり苦しんだりしてきたけれど、どれも「女だから」だったのだと思うと、理不尽が謎に変り、謎は連載によって次々と解決されていった。

これ以上、ひとりで悩まなくてもいい。泣きそうなくらい嬉しかった。自分ひとりの問題じゃないとわかって、本当によかった。ますますわたしは連載に没頭した。

この新聞連載がわたしの人生のもう一つの分岐点だった。いや、出発点と言った方がいいかもしれない。

やがてこの連載は一冊の本にまとめられた。

佐藤洋子『自由と自立への歩みー女が生きた20世紀ー』朝日新聞社

この本を片手にわたしは、自由と自立を追究することになる。大きく挫折する時が来るのだけれど、わたしが女だからではない。ただただ、おろかだったからだ。おろかだった姿について、いつか書ける日が来るだろうか。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。

地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)