浮遊生活

空中浮遊しているような感覚。
空にぽつんと浮かんでいるなにか。
風船はどんどん昇ってしまうし、そういえば空に佇むような状態であるものって思いつかないな。月と星は宇宙で、空中ではないし。

あるいは、海のずっと沖の方でエンジンを止めた船みたいな感覚。
どこに向かおうというのがない。
方位磁石も地図も机の中にしまっているけれど誰も見ようとしない。
波の、風の流れるままに漂っていて、それでいいと誰もが思っている状態。
燃料もまだまだ入っているのだけれど。
そんな感じのほうがしっくりくる。

点を決めて、そこに向かう。
点まで引いた線の上をどんどん進んでいって、到達したらまた点を決める。
新しい点に到達するごとに知らないことを知れるし、線の上で同じような点を決めた人と知り合ったり、嫌なことが起こってやめたくなったりする。
それでも点を決めないと、自分たちはただ漂い続けるしかないことを人は知っているようだった。

本当に?

私は漂い続けながら、それが嘘なのではないかと思った。
むしろ、ほとんどの人が漂っている。
西から風が吹いたら東に流れるように、沖まで流せると思った瓶が結局波打ち際に戻されてしまうように、大体の人の人生はそうなってしまうのではないかと思った。
だからそうでない人生を送っている人に憧れる。

人は気づいたら浮遊してしまうし漂流してしまう。
それはどうしようもないことなんだ。
よく目標を見失った人間、なんて言われる。
でもそれはその時の状態であって、成り行き次第でどうなるかわからない。

きっと浮遊している私じゃないと、こんなことは考えつかない。
毎日に必死な人間はこんなことを考える暇はない。
あのときそうだった。
歳を重ねると自分の経験が引き出しの中から引っ張り出せるようになるし、それで自分の考えの寸法を測れるようになる。

それは安心感がある一方、淋しいことでもある。

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