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ひとりぼっちでここに

彼女にとって本屋に行くことは無意識の習慣で、街に出ると結局本屋に行く。
週に4回も同じ本屋に行ってしまっても、新たな発見を求めて同じ棚を眺め歩くのだ。もしかしたら昨日はなかった本が並んでいるかもしれない。昨日は目にも止まらなかった本に興味を持つ自分がいるかもしれない。
彼女の心にはもしかしたらそんな淡い期待があるのかもしれない。

この本屋は1フロアだけれど、このエリアでは最も在庫があると謳うほど大きい。実際、全ての棚をまじまじと眺めようとすると30分はかかるだろうか。とにかく本が多い。そんな本屋然とした本屋が彼女は好きなのだ。

彼女にとっての本屋は少数精鋭の選書タイプではなく、知識の殿堂と言っても過言ではないほどの奥行きのある圧倒的な大きな本屋なのだった。求めるものは図書館と同じかもしれない。彼女の通った大学の、あの大きな図書館の印象が根強く残っていた。

大学の図書館。
学期中はそこそこ、試験期間からはぎっしり。でも休み期間はがらがら。
休み期間の、特に年末昼間の図書館は人がいなかった。もしかしたら違う日にはそうではなかったのかもしれないけれど、彼女の記憶に残っている日は、彼女以外の利用者は数えるほどしかいなかった。
静かで、本の匂いがして、安心する空間、そこに一人で。

よくわからない自分の心の中を探るように、それぞれの分類ごとに棚に収められた本の背表紙をひたすら目で追っていく。無意識にどんな本なのかを考えながら、たまに気になる本を手に取って、ああ、違うな。そう思ったり。
思わず目が離せなくなるような本を手に取ることができたとき、彼女の心は恍惚感で満たされる。本棚と本棚の間で、まるで彼女から光が放たれているかのような。それでもそれをみている人はいない。

気づくと足がなんとなく怠くなっていて、疲れたな。と思うまで立ち読みしていたり、お腹が減ったり、閉館時間になったり。

外に出ると夕陽が差しこめてきていて、葉がぜんぶ落ちて針金のような枝が空に突き上げている銀杏の木は真っ赤に染まっていた。空の高い方は青色と藍色と紫色と黒を混ぜ合わせたような複雑な色をしていて、低い方は夕陽の赤がにじんでいた。

マスク越しに空気を吸って、周りに誰もいないことに気づく。
マスクをずらしてもう一度。思いっきり空気を吸う。
冷え切った空気が鼻を冷やして肺に満たされる。何度か繰り返すとすっかり体が冷えるようだった。きりっとした。

ざくざく音を鳴らしながら落ち葉で覆われた道を歩いてその音が心地よい。
向こう側から家族が歩いてくる。
ベビーカーに乗った子供と幼稚園の子供。お父さんとお母さん。
幼稚園の子供はキリンのぬいぐるみを抱えている。お父さんは動物園の紙袋を持っていた。
すれ違う。後ろから子供とお父さんの声。

あのキリンさん、ひとりぼっちでかわいそうだったね。
そうだね。でも、夜になったらもう一頭いるキリンさんと会えるんだよ。
よかったー。

よかった。彼女も心からそう思いながら、綺麗な銀杏の落ち葉を踏んだ。

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