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想像の外

人は人のことを自分の想像の中に入れたがる。
彼女はそれを嫌う。
自分が人の想像の中に入れられてしまうことを無礼だと感じる。
烏滸がましいというか、乱暴というか、ときには狂気じみているとさえ。

ワイドショーでは誰が優勝して、誰が熱愛中で、誰が死んだと報道する。
お金をもらって出演している人がネットニュースや新聞を読んで得た知識をもとに個人的な感想を開陳していく。
誰のために何をしたくてそんな放送をしているのか、彼女には怖くてたまらない。
有名人になるということは他人の想像の範疇に強制的に組み込まれ、その中から逃げることができなくなってしまうことなのだなと思っている。

それでも彼女も有名人だった。
テレビには出ないけれど、ラジオには何回か出たことがあるし、雑誌にコラムを書く連載も持っていた。どうしてSNSをしないんですか?とよく聞かれる。必要だと感じないからだと答える。人によってその回答を返した後の展開は分かれる。利便性を説き出す人。あなたらしいですね、と納得感を示すもの。まあ、鍵アカウントでやっているだけで十分ですよね、と知ったかぶりをする人。
私はただ性に合っていないからしないだけなのに、人によってはSNSをしていないからというだけで、私は謎の人物にリスト入りしてしまうようだ。

休みはなにをしているんですか?
いまどんな本を読んでいるんですか?
今度飲みに行きませんか?

いずれの質問もこれまでに何百回とされてきた。
初めて会った人や何回か顔を合わせたことがある人。
距離の詰めかたを模索しているのだ。と思う。思うのだけれど、なぜ?と思う。

休みの予定は言いたくない。
どんな本を読んでいるのかも言いたくない。

どうして休みにそんなことするんですか?
どうしてその本を読もうと思ったんですか?

私はあなたになぜを説明したいと思っていません。行き着く。

今度飲みに行きませんか?

なぜ?ここで話せばいいのに。

人は人のことを知ろうとする。それは関心があるときもあればそうでなくただなんとなく習慣や礼儀としての場合もある。人である以上それが当たり前だという、それができなければまるで人でなしだなんて烙印が押されてしまうかのように。

人は人の想像の外に出ようとすると、人ではなくなるらしい。
だってその他大勢の理解の範囲外に出てしまうのだから。


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