富山には、自分らしくいきいきと活動する魅力あふれる人たちがたくさんいます。
知れば知るほど好きになる。
そんなトヤマビトたちとの出会いと発見を、みなさんと分かち合いたい。
第16回目 タレ目が相手との距離をグッと縮めるチャームポイント!
▶ 高みを志して。
小学生の頃からサッカーのクラブチームに所属していた椎名さん。
プロサッカー選手を志したのは中学生の頃でした。
中学を卒業後、高校サッカー全国大会の常連校へ進学を希望し、北海道を出て名門校 青森山田高校に入学。
と笑顔で高校生活を振り返る椎名さんは、高校3年生の時に壮絶な戦いを乗り越えていたのでした。
高校生活最後の全国大会の4か月前に、左膝前十字靭帯断裂。
椎名さんは大会への出場が難しいと言われていました。
しかし、迎えた第88回全国高等学校サッカー選手権大会のピッチには椎名さんの姿が。
準決勝戦では、チームを決勝戦へ導くゴールを自らの足で決めるなど激闘を重ね、青森山田高校は準優勝の成績を収めました。
その後、流通経済大学へ進学。卒業後は松本山雅FCへ入団し、プロサッカー選手として歩み始めました。
▶ サッカー選手として、何度も立ち上がる。
2015年7月にカターレ富山へ移籍し、富山での生活を始めた椎名さん。
現在、カターレ富山の中では在籍年数が一番長いという椎名さん。
チーム内で『不屈のシンボル』とキャッチフレーズがあるように、実は富山に移籍後も2度の大怪我を乗り越えているのです。
この怪我は椎名さんにとって富山での大きな転機となりました。
▶ 富山での出会いが大きな一歩に。
2018年11月、右膝前十字靭帯断裂。
4度目の大怪我に、サッカー人生の幕引きも考えたのだとか。
そこで、母校 青森山田高校の体操の先生に相談を持ち掛けたところ、ある青年を紹介されました。
筆者も驚いたのですが、以前のトヤマビトで綴った福原さんが富山のキーパーソンだったようです。
福原さんに連れられて参加した異業種交流会で、同世代のさまざまな職種や考えをもつ人たちと出会った椎名さん。
また、現在 不登校児支援など子どもたちに向けた活動を行う椎名さん。
▶ 次は僕が、光になりたい。
サッカー選手としても、個人としても活動を展開していく椎名さん。
両立が大変なのではないかと伺うと、そうは思わないとのこと。
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「口下手なんです」と はにかみながら、ゆっくりと言葉を紡いでくれた椎名さん。
ピッチでの姿とはまた違った魅力を見せてくださいました。
カターレ富山は今、J2復帰に向けて大きくアクションを起こしています。
富山のスポーツ界、一緒に盛り上げていきたいですね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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