9月20日(金)上海留学12日目 ~予想外の深刻な言語の壁~

9月20日(金)留学12日目

 今日を乗り切ればお休みだ!とのことで本日も元気に7時起床。食べるものも飲むものもなかったので、教室に向かう途中にある学内のスーパーに寄ることに決めて、7時55分に部屋を出る。
 起床したタイミングから嫌な予感はしていたが、外はすさまじいほどのどしゃ降り。
 詳しく調べていないので分からないが、先日のものとはまた違う台風が接近しているようだった(その後特になにもないので、直撃はしていないのだろう)。

 上海には、100均で買った1,000円の、結局安いのか高いのか分からない折り畳み傘しか持ってきていない(軽いのと、実際は千円出しているものの、まあ100均で買ったものだしな、と暴風のなかでも気軽に持てるところが良い)。

 ところによっては10センチほど水かさのあるところも通り抜けながら、えげつない雨のなかを黙々とスーパー目指して歩いていった。
 他の人が躊躇するような水かさの場所も、私はサンダルなのでスイスイ進めた。

 スーパーは、入り口に学生たちの傘がところせましと掘ったらかされている。町中ではどうか知らないが、この学内では建物内に濡れた傘を皆持ち込まないため、昼飯時の学食の入り口なんかは200本くらいあるんじゃないかという夥しい量の傘が入り口に放り出されている。
 私は傘を盗まれたくなかったので、店内に入った端っこのところに、自分の物と分かるように置いてさっさと買い物を済ませた。

 こっちへ来て2,3日目に食べたドーナツ状のあんこの入ったパンと、「无限电 电解质水」というジュース?を買う。たしか二つ合わせて300円くらい。

 その後、スーパーを出てビショビショのグシャグシャになりながら教室にたどり着いた。まだ授業開始15分前だというのに、すでにいつも早い3名の生徒が着席している。
 「にーはお」と挨拶した。

 その後、雑談でもかましたるかと「雨下得大(雨くそ強い)」というと、「12月にこれを食らうよか幾分もマシよ」とちょっと小洒落た漢字の返答をロシア人からいただく。
 よし、ちょっと雑談できたぞ。

 その後、普段私の後ろに座る可愛いトルコ人が列をはさんで隣に座って、なんなら笑顔で話しかけてきた。
 私は自意識過剰なので「もしかして私と話したくてこの席へ・・・?!」と思ったけど、たぶんそんなことは絶対にない。

 そして、ふだんそのトルコ人が座っていた席には私が昨日連絡先を聞いた可愛いモンゴル人が座っていたのだが、彼女は教室に入ってくると私の前の席に座った。
 その席空調めっちゃ寒いで。大丈夫かモンゴルの方!

 彼女は挨拶ののち、「我忘记了笔(ペン忘れた)」と言った。「びー?」「笔(ペン)」「びー?」「是的,笔!」と私のリスニングのお粗末さを露呈している間に、一緒に話を聞いていたトルコ人が「没问题!(大丈夫よ!)」といって、赤ペンと青ペンを見せつけていた。

 別に彼女も彼女で見せびらかしたあとペンを貸したわけではなかったので、彼女のリスニングもまたお粗末だったということであろう。
 一緒に頑張ろうな!!!!

 しかし、私はそのトルコ人のおかげでモンゴル人がなんといっているのかを理解したので、もちろんシャーペンを貸してあげた。
 気にしいの性格なので、私のシャーペンは芯が0.3mmなのだが、差し支えないだろうか・・・などとぼんやり考えた。

 1コマ目は特になにもなく終了して、1コマ目と2コマ目の間に昨日提出した宿題が返却された。作文含めて満点だった。やったぜ。

 2コマ目、私の横の席にこれまで見たことのない女の子が座る。「3-1から来たの」と言われたのだが、それを私は聞き取れたはずなのに脳が「ここは3-1のクラス?」と聞かれたと処理してしまい、
 「这里是2-3班!・・・噢,你从3-1班来吗(ここは2-3クラスですよ!・・・あ、3-1から来たんですね)」と無駄な会話をしてしまった。

 彼女もまた「教科書がない」と言うので(なぜ皆先生に聞かないのか)、wechatのアカウントを交換して資料を送ってあげた。
 
 この彼女であるが、超ド近眼なのかホワイトボードの文字が読めないようで、ホワイトボードの内容をすごい頻度で写真に撮っては、内容を確認するようにずーっと文字を読み上げつづけているので正直気が散ってしょうがなかった。
 もうしわけないが今後彼女の隣には絶対に座らないと熱く心に決めた。

 2コマ目終了。授業終わり、なにやら先生がめちゃくちゃ小難しい宿題について話している。
 「来週の火曜日に、何人かの生徒に営業役になってもらって、他の生徒にその商品を紹介してもらいます。だから皆、紹介するものを忘れずに教室に持ってきてね!」ということだった。
 おおよそ聞き取れたものの、こちらは「そんなことするのか?」と半信半疑なのでまず自分の耳を疑う。

 そこで先生に、授業終わりに授業の内容の質問とともに、「宿題についてが聞き取れませんでした」と言ってもう一度教えてもらった。やっぱり聞き取った内容と同じことを言っていた。
 まじか・・・。

 とりあえず午前中で今日は授業が終わりなので、そのまま教科書を販売している2階の教室に立ち寄る。私の他にもう一人生徒がいたのだが、先生がどっちの生徒にどっちの教科書のことを言っているのか、なにを言っているのか、質問にたいして正しく答える、がしっかりとできた。
 そりゃもちろんただ教科書を買うだけの超簡単な内容なので聞き取れるのも当たり前ではあるが、会話のキャッチボールがきちんと成立できたのは嬉しい。

 そしてアホなので新品の教科書をどしゃ降りのなか持ち帰ることになった(月曜日に買えばよかったと大反省する)。

 さて、寮に一度戻って、トイレに寄って荷物を置いて、寮の向かいの河西食堂へいく。
 学内のトイレは和式なので、私はトイレはなるべく自室で済ませるようにしている。自室のトイレもまあ便座は茶色くて汚いのだが、洋式であるだけ雲泥の差であるし、自室のトイレの床は毎日掃除しているので最悪パンツの裾を引きずってもまだ構わないからだ。まじでストレスである。

 まあそんなことはどうでもよくて、河西食堂は数多の生徒を暖かく迎え入れているため混雑しており、私は人垣を掻き分けながらなにを食べるかを考えた。
 (イメージとしてはフードコートのように、壁沿いにいくつもの飲食店があって、そこから自分で好きなものを選んで食べる)。

 この日は、「手工水餃(手作り水餃子)」の「猪肉白菜水饺」にした。
 食堂で、結構お喋りするインドネシア人二人と会う。
 「なに食べるの~?」と言われたので、「餃子~」と言った。彼女たちは他の店へ行ったので、餃子はお呼びではなかったらしい。泣かないで、餃子ちゃん!
 私も正直言うと焼き餃子が食べたいが、これ以上水餃子ちゃんを悲しませるわけにはいかないのでそっと胸のうちに秘めておく。でも美味しかったので満足。

 水餃子を食べたが正直量が少なく足りず、微妙に満腹感は得られないまま食堂を出る。
 先日コンビニで買った平麺のカップラーメンが部屋にあり、少ししたらおやつとして食べようと考えたためである。
 今日は15時30分~相互学習の生徒と会う予定で、17時~singing clubの記念すべき第一回目の練習が控えていたので、間食しないと持たなそうであった。
 練習は18時30分終了なので、帰り道に19時までやっている河东食堂に寄る算段であった。

 さて、15時半までに私は洗濯を終えねばならない。
 洗濯かごの中身を検分していて、この日は白いシャツと2本のジーンズが入っていることに気がついた。

 「このジーンズ、日本では10回くらい洗濯したけど、上海の水では一回も洗ったことないな・・・」。白・色物・ジーンズの3回に洗濯を分けるのは、時間もお金も足りなかったので、とりあえずジーンズとそれ以外で分けた。

 なんならジーンズはバケツで手洗い・脱水、それ以外は普通に洗濯機を回すことにした。

 ジーンズをバケツで洗剤入りのお湯に浸けながら、脱水まで終わったその他を洗濯機まで取りに行くと、そこには先日一緒に劇をしたアメリカ人の彼女がいた。
 「あ!」と彼女に言われ、私は脳内のデータベースを探る。
 「昨日一緒に劇をした生徒だよ」と彼女は名乗ってくれる。ありがたい。

 「この寮なの?」と聞く。「そう。私はC棟なの」と言うので、B棟の洗濯機まで来ているのは珍しいと思った。
 「C棟からこっち(B棟)に来るのは遠くない?」と聞くと、「遠いけど、C棟の洗濯機はいつもいっぱいだから」と彼女が言う。
 そのあと、お互いに一人部屋であることや、私の住むB棟の1階はどんな人が住んでいるだとか、そういう話をした。
 彼女は日本に来たこともあると言っていて、私は彼女の話をきちんと聞き取れるか不安だったけど、意外となんとかなって結構雑談できた。

 途中、私の部屋が洗濯機からとんでもなく近いことと、彼女の部屋にはトイレ・シャワーがついていないことを聞いて、彼女が「部屋を見たい!」というので私の部屋を見せてあげた。
 私が部屋の入り口で靴を脱いでいるからか、彼女は丁寧に靴まで脱いで部屋に入り、一通りなかを見ると満足したらしかった。

 さて、ジーンズ以外を乾燥機にかけているあいだ、私は部屋に戻って浸け置き洗いしたジーンズの様子を確認した。
 青色の絵の具でも溶かしたのかというくらい水が真っ青になっていたので、別洗いして本当によかった。
 バケツの水を入れ換え、再びジーンズを浸ける。その間に期待していたカップラーメンを食べたのだが、麺は不味いわスープは辛いわ、着ている服に汁を飛ばすわで最悪で、私は洗面台で着ていたトップスを手洗いして、そのままジーンズとともに脱水機へぶちこんだ。

 ついでに乾燥機を確認すると、私のアラームではあと20分は稼働しているはずの乾燥機が、なぜか乾燥終了になっていた。为什么(なぜ)?

 ためしに取り出してみると、速乾が売りのタオル、エアリズム、薄手のシャツは乾いていたが、その他はすべて生乾きであった。
 ええー、これ、誰か途中で蓋開けたんじゃないの・・・。

 もやもやしながら、まあ脱水のおわったジーンズと会わせてもう一回脱水にかけよう、と思っていたのに、私は鳥頭なのですっかり忘れてジーンズだけで乾燥機を回してしまった。
 もういいもん、一人部屋を活かして全部部屋干しするもん。ハンガーやらピンチハンガーをすべて駆使し、私はとりあえず部屋の至るところに洗濯物を吊るした。

 この日、何回も洗濯部屋と自室の往復をしたのだが、途中公共スペースの清掃員のお姉さんが、床を水拭きしたようで、スリッパで歩く私に「慢一点儿,慢一点儿(ゆっくり歩いて)」と声をかけてきた。発音が速くて聞き取れず、もしかして歩くなって言ってるのかな・・・と床を指差しながら「可以?(歩いていいか)」と質問をしたのだが、ふと乾燥機に洗濯物を投入しているときに「慢一点儿だ!」ようやく言葉が紐付いた。
 どうすればこの結び付きのスピードが速くなるのだろうか。精進あるのみか。

 15時30分、室内は洗濯物だらけで誰一人通せるような状況でなくなったが、外出するので気にならんわ~と悠々自適に部屋を出て、寮の共有スペースである、学習スペースに行った。

 友達はまだ来ておらず、ひとまずそこで宿題をしていると、先ほどあったアメリカ人と再び出会った。
 「なにしてるの?」と聞くと、「受付からC棟に行くにはここを通るの」と言っていた。
 壁に「C棟」と張ってあった。
 語学学習の友達がA棟に住んでいて、この前場所を教えてもらったので、これで私はようやくA/B/C棟すべての場所を理解したのだった(だからどうということはない)。

 外は相変わらずの豪雨に雷まで鳴っていて、私が「打雷了・・・(雷が鳴る)」とおもっていると、違うテーブルに座っていた寮の受付の女性が「哇,打雷了!」と同じテーブルに座る生徒に言っていたので、単語に間違いがないことを確認した。

 5分ほど送れて友達がやってくる。
 先に日本語からやろう、というと、「正直最近は英語が難しすぎてそちらに掛かりきりだったので、日本語は勉強できていない」というので、中国語での会話をメインにやってもらった。
 この日は、提供と提出と提交の違いを教えてもらう。
 あとは先日指摘された「ru」の発音を含めて、発音回りを聞いてもらった。

 「夸张(kua zhang)」の発音に手こずり、私が何度も発音を繰り返していると、私たちのテーブルの横にさっき「哇,打雷了」といった受付の女性が立っていた。練習に没頭している間に、彼女たちの話し合いはおわったらしい。
 私たちの発音練習をずっと聞いていたようだった。
 「ちからが入りすぎよ。リラックスリラックス!」
 と肩を回すジェスチャーをしながらいきなり話しかけてきた。

 その後「あなた韓国人?」と彼女が私に言う。私はそれを聞き取れたはずなのに、緊張していたのか「はい」と答えてしまうと、友達が笑いながら「ちがうちがう、日本人」と訂正した。
 つづけて受付の女性は、「あなたは中国人?」と聞くと、友達は「日本人です。でも、ずっと中国に住んでる」と答える。
 私が友達のことを、「彼女に中国語を教えてもらっているんです」と紹介すると、受付の女性は「それで彼女はあなたから日本語を教わっているのね」というので、「でも彼女の日本語はめちゃくちゃ上手いですけどね」と返した。

 その後受付の女性はすごいスピードで、「喉にちからが入りすぎているとおもう。もっと喉の回りをリラックスして、気軽に発音した方がいいよ。彼女の発音を聞いた?リラックスしてたでしょう。あなたの発音は・・・少し硬い。そんなに大袈裟にちからを込めて発音しなくていいの。夸张,夸张。はい」と言ってきた。
 かなりスピードは速かったのに、彼女の話はなぜかめちゃくちゃ聞き取れた。

 受付の女性が「ガンバッテ~!」と日本語で私に激励の言葉を送って去っていくと、友達から「聞き取れた?聞き取れなかった部分はあった?」と聞かれる。
 「なぜか8割くらい聞き取れた」と答えると「聞き取れなかった部分はどこ?」と言われる。
 彼女はめちゃくちゃ日本語が上手いので、彼女の場合の「聞き取れない」は「今言った○○ってどういう意味なんだろう」という聞き取れないだとおもうが、私の場合の「聞き取れない」はそれが雑音になってしまう聞き取れないなので、残念ながら「どこが」といわれても回答できなかった。

 代わりに、「聞き取れたのは・・・」と上記をそのまま日本語で伝えると、どうやらほぼ意味が理解できていたようである。

 この日は一時間程度の軽い会話練習をして、私は彼女と分かれ、すさまじい雷雨のなかを寮を飛び出したのだった。

 15分くらいで到着した国際交流中心という寮。ここの1階にあるホールが、金が今日押さえた練習場所であった。
 彼らはこの寮に住んでいるので、1ミリも濡れずにたどり着けるわけである。
 私は受付の守衛に、「我想见面我的朋友!(ともだちに会いに来た!)」と伝えた。
 入り口のセキュリティゲートを通してもらい、自分の名前、訪問先の相手の名前、その間柄、パスポート番号、電話番号を書かされる。
 パスポート番号?!?!?!?!
 なんとか記憶をたどって事なきを得る。

 110号室にいるよ!と金から聞いていたので、案内板に沿って進んでいくものの、部屋がない。
 途中、109号室まで見つけたので相当惜しいところまで行ったのだが、その先には壁しかなかった。

 見かねた野良の警備員に、「どうした?」と聞かれるので、「110号在哪里?(110号室はどこですか?)」と聞いてみた。
 気のよいおじさんが「ついてきな!」と言うので着いていくと、おじさんもまた109号室を前に「変だな・・・無いぞ?」みたいなことを言われる。なんなら、「110号なんて無いよ」と言われた。
 あるんよ(笑)

 親切が彼の能力を先行しすぎた警備員のおじさんに、「受付で聞いてみて」と言われて受付にとんぼ帰り。
 受付で「110号はどこですか?」と聞くと、しきりに「111号?」と言われる。
 金はもしかして精神と時の部屋にでもいるの???

 あとあと聞いたところ、どうやらその部屋は110号室ではなく、「ホール」と呼ばれているそうで、いろんな人が混乱したらしいが、無事受付のお姉さんの機転に助けられ、私は熱唱する金と合流した(部屋の外まで声が響き渡っていた)。

 ドイツ人の沉からは5分くらい前に「いまから向かうね」と連絡が来ていたが、彼女は結局その後15分来なかった。なにしとんねん。

 沉が来る前、受付のお姉さんにつれられ、一人の青年が部屋に入ってきた。
 おねえさん曰く、「この子も歌好きらしいのよ。混ぜてあげて」という。
 青年は「いいよいいよ!」と受付のお姉さんの言葉に手を振っていたが、「いまこのサークルは人が少なすぎて困っているから大歓迎です!」と無理矢理引き込むと青年は照れ臭そうに入室した。

 彼はアラブ人で、好きな音楽は「洋楽とアラブ音楽」だそうだ。アラブ音楽・・・。聞いたことがない。というか、そりゃあるだろうに、そんな音楽が存在していることを初めて知った。世界が広がった。

 遅れてきた沉も含めて、我々は撮影をしながらとりあえずボイストレーニングをした。
 この部屋を借りるに当たって、サークル活動の証明として練習風景を提出しないといけないのだと金が言っていた。

 今日の練習の進行方法を一切打合せしないまま、今日の練習を迎えてしまったので、なんの練習をどのように進めるか、完全に後手後手であった。
 そのうえ、ミュージックディレクターを任命された沉(我が強い)と、サークルリーダーの金(すごく穏やかだが、リーダーシップがあってかなり意見を出す)が英語で衝突するものだから、途中言葉の分からない私にすらはっきりと感じ取れるくらいバチッとする瞬間もあって居心地が悪い。

 練習の95パーセントは英語で進められるので、私からすれば次何をするのかちんぷんかんぷんであるし、唯一聞き取れた英語にたいして、私が中国語で意見を出すと、二人の中国語力が足りず、理解されない。
 相変わらず、まだこれまでのこの短い上海留学において、私が唯一深刻な言語の壁を感じるのが英語、そしてこのsinging clubであった。

 ただ唯一救いだったのは、アラブ人の季はすでに中国に1年留学している上に英語が話せる男だったので、この日初めてこの意味の分からない取り組みに巻き込まれた可哀想なアラブ人は、日本人とインドネシア人とドイツ人の言葉の架け橋となったのである。

 18時過ぎ、季は他のアラブ人の友達が迎えに来て、二人仲良く帰っていった。私からすればこのクラブには(言語的な意味で)絶対に彼が必要であるが、このグダグダな第一回目の練習に巻き込まれて、きっと彼はもう戻ってこないのだろう・・・と悟った。

 さて、ホール自体は18時半までしか使えないので、金が1回、私が1回歌を歌い、そのフィードバックを違う二人から受ける様子を動画に収めて練習はおわった。
 フィードバックはもちろん英語なので、彼らのフィードバックは全く理解できなかった。

 会場を使い終わった旨を受付に伝えて、我々はそのまま国際交流中心の一回共有スペースにいた。
 練習終わり、かれら二人は英語で今日の練習の問題点を話し合ったようで、それについてさらに詰めるつもりらしかった。
 すまない、英語の分からない日本人は帰っても良いか?とは流石に言えなかった。

 彼らは一切中国語を話すことを放棄して英語で討論をはじめるので、それをBGMに私は昼に買ったオレオを食べていた。残念ながら5個入りだったので、彼らは遠慮して1個ずつしか食べなかった。
 どういう議論が成されたのか分からないが、金が「○○○○、or give up?」と聞いてきた。私はそれをsinging clubが無くなるのかと解釈して、とうとう日本語を解禁して、音声翻訳アプリに日本語で「ギブアップとはサークルの設立を諦めるということ?」と言った。
 留学に来ている以上、日本語なんてしゃべっていてもしょうがないので使いたくなかったのだが、なんかそれどころでは無さそうだったからだ。

 沉も「私今日疲れたから中国語使わないわ」と公言していたので(何しに上海に来たんだ、沉!)、彼女も自分のスマホに英語を吹き込み、金も自分のスマホに英語を吹き込み、日本語に変換してくれてめちゃくちゃ有意義に会議ができた。

 日本語を解禁したことで、私は初めてきちんと、「このサークルの目的はなに?何をしたくて立ち上げたの?そもそも金の発案から生まれたのだから、私はその意向は出来る限り金の意向に従いたい」と伝えることが出来た。

 すると金は笑いながら、「本当はただカラオケをしたいだけなんだ。でもカラオケにいくのは大変だし、広いところで歌を歌いたいし、サークルにするなら大義名分がいるからこんなことをしているだけ」と言っていた。
 意外と不純な動機だった。

 その日、疲れすぎていてどんな紆余曲折があったかは完全に忘れたが、
 ・中国語の歌を歌うサークルにしよう(これは私が日本の歌を歌ったのだが、金は原曲を知っているものの、沉は曲を知らなくて指導が出来なかったという問題点に起因する)
 ・金が既存の曲を合唱用にアレンジする
 ・まずは部員を8人集めたい
ということで議論が終結した。時刻は8時半を迎えていた。

 討論のすえ、私が二人に「辛苦了」というと、沉がおもいっきり「は?」という顔をした。
 金がそれにたいして「Good Job!」という意味だよ、というと、沉は「オツカレサマデシター」と言った。
 もう日本に留学したら?沉。

 夜道を一人で帰らせるのが忍びなかったのか、はたまた本当に買い物があったのかは知らないが、金が「スーパーに行くよ」というので(私の寮に行く道の途中にある)、二人で仲良く夜道を歩いた。

 「私のクラスにはインドネシア人がたくさんいるよ。皆に金の微信アカウントを見せたら、知り合いではないけど、完全に名前がインドネシア人!と言ってたよ」と伝えると、彼は「みんな僕のこと知るわけないよ(笑)。僕のこの大学での一番はじめの友達は沉で、二番目は君だから」と言っていた。
 おお、なんか感慨深い。
 彼とも4ヶ月経ったらお別れなのにな。

 彼はビジネスクラスなので、授業自体かなり難易度が高いらしく、それに対する彼の悩みを聞いたり、最終的に日本のアニメでは「Angel Beats!」が一番好きらしくて、私も放送当時死ぬほどはまったので結構会話が弾んだ。

 出会った初日、ほとんど中国語を聞き取れなかった金だが、ゆっくり話すと結構しっかり中国語を聞き取れていて、まだ短期間なのに彼のリスニング力が上がっていて驚いた。

 金とはスーパーで別れ、私は食堂へ行けなかった悲しさもあったが、とりあえずもうシャワーを浴びて寝ることにした。
 中国語より英語の方が難しい・・・。

 
 

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