見出し画像

書き残されたモノがなければそれはいい加減?

【MKニュース 2022.10.25より抜粋】


狩野家の歴史の探求は、思わぬ出会いと気づきを与えてくれる。

伊豆の雑学や歴史に精通された方や、お寺の住職と会話をしていると時間を忘れ、ついおしゃべりになる自分がいる。

そんな時間を通して「なるほど!」と気づいたのは、その地に残る言い伝えなど口伝、伝説は、書き残されたモノがほぼないということだ。


例えば三嶋大社の鹿は、大正8年に春日大社から譲り受けて、その数は14頭と神鹿園には記されていたが当時小学生だったお年寄りたちは、間違いなく16頭だったと口を揃えて言う。学校帰り必ず立ち寄り一頭に一枚づつエサを与えていたから。ということで今は、頭数は記されてないとか…。

なんでもエビデンスを求め、記録、文書が無いものは事実でないとする考え方は、逆に言えば事実とは違う記録を残すことにつながる。鎌倉期の吾妻鏡などその時代の歴史書は、当時の権力者や書き手によって史実とは違うことを記すことは当然考えられる。

もちろん記録を残すことも大事だが、例えば昭和20年代の出来事を調べるなら、当時を生きた人達にインタビューするのが一番。

そこにあった言い伝えや風習、祭りといった民俗の中に、遥か昔の歴史の1場面を見ることができる。


【 ↑ 伊豆を愛するコトウダ社長の1週間はコチラ ↑】


【 ↑ MKニュースバックナンバーはコチラ ↑ 】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?