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【感想】廖亦武『武漢病毒襲来』

【本記事はネタバレを含みます。新鮮な気持ちで作品を読まれたい方はご注意ください】

 今年8月6日、『武漢病毒襲来』というぎょっとするようなタイトルの本が出版されました。著者は、2012年にドイツに亡命し、同地で執筆活動を行う廖亦武(リャオ・イウ)です。彼は、1989年に天安門事件を批判する長編詩『大虐殺』と映画『安魂』を制作したため、反革命扇動罪で懲役4年の刑を受けました。釈放後は簫奏者として中国各地を渡り歩いて最下層の人々の話を書き留めたり(『中国低層訪談録』(2001年/邦訳:2008年))、天安門事件で投獄された人々に聞き取りを行ってインタビュー集『銃弾とアヘン』(2012年/邦訳:2019年)を出版しています。


 『武漢病毒襲来』の主人公は、春節を前にベルリンから中国に帰国した艾丁(アイディン)という歴史学者です。彼は、感染拡大が確認されていないドイツからの帰路にあるにもかかわらず、武漢出身ということで隔離措置をうけてしまいます。そしてちょうどその日(2021年1月23日)、艾丁は妻からの連絡を受けて、自宅がある武漢がロックダウンされたことを知るのです。艾丁は、隔離期間中に様々な報道記事や研究論文を調査しながら「在宅封鎖日記」を書き綴るうちに、「新型コロナウイルスが武漢ウイルス研究所から漏洩したのではないか」という考えを強めていきます。隔離期間終了後、彼は武漢を目前に県境封鎖による足止めを食らうのですが、妻がCOVID-19に罹患したことを知って県境を強行突破し、自宅へ急ぎます。けれども時すでに遅し。彼が帰宅したころには、妻の遺体は運び出されてしまっていました。帰宅後、娘と穏やかな日々を送ったのも束の間、彼のもとに警察がやってきます。彼は、SNSで武漢ウイルス研究所に関する記事を数度シェアしたために、「新型コロナウイルスが武漢ウイルス研究所から漏洩した」という「デマ」を拡散したとして連行されてしまうのです。
 新型コロナウイルスの発生源については現在も議論の余地が残っているため、本書の主人公の主張をすんなりと受け入れることはできません。特に物語後半の艾丁は「武漢ウイルス研究所は生物化学兵器を作ろうとしていたのではないか」という疑念をも抱くようになっています。こうした彼の思考は筋道だってこそいるものの、近視眼的で、陰謀論にはまりこんでいきそうな危うささえ感じられます。

 とはいえ、本書において作者が問題にしているのは、艾丁の主張の真偽というよりは、共産党にとって都合の悪い主張を隠し持つ艾丁のような人物の口が、極めて暴力的な形で封じられてしまう今日の中国社会の現実でしょう。このことは、廖亦武がなぜ、現在では差別用語と見做されている「武漢病毒(ウイルス)」という言葉を、あえて作品タイトルに冠したのかを考えるうえで非常に重要なポイントです。
 廖亦武は、本書の冒頭に付された「日本語版への序文 なぜ『武漢ウイルス』というタイトルに拘るのか」において、「武漢ウイルス」とはそもそも政治用語ではなく、武漢で発生したウイルスであるという客観的事実を示す用語であることを断ったうえで、次のように語っています。

これ[武漢ウイルスをCOVID-19と呼ばせるようにしたこと]も数年後の歴史改ざん(これも共産党のお得意とするところだ)に利することになる。数年のイデオロギー宣伝を経れば、大勢の中国人はCOVID-19が米国から中国にもたらされたもので、武漢は最初に感染させられた中国の都市、とのみ知るのである。(『武漢病毒襲来』5頁)

つまり彼は、中国共産党によってもみ消され、人々に忘却される前に、新型コロナウイルスが武漢で発生したという事実を、そして、そのために武漢の人々があまりにも大きな犠牲を払ったのだという事実を、書き残しておく必要性があると感じていたのです。作中では、ロックダウン下の武漢の惨状が生々しく描かれるだけではなく、当時ネット上で公開されていた中国の表現者や一般市民の言葉が数多く引用されています。叫びをあげる彼らの口は、言論規制が厳しい中国において、いつ封じられてしまってもおかしくありません。例えば、廖亦武は本書の末尾に添えられた「追記」において、プロローグで中心的に描かれるYouTuberキックリスや、エピローグに引用された詩『武漢挽歌』を発表した張文芳が、警察による逮捕・拘束を受けたことを指摘しています。ベルリンに住む亡命作家 廖亦武は、中国国内で消し去られてしまう可能性のある彼らの言葉を自身の作品に書き込み、出版することで、それを国外に亡命させようとしたのだと言えるでしょう。彼は本書に収録された叙事詩「私の唯一の武器は唾である」を以下のような言葉でくくっています。

これは私が前もって書いた墓碑銘(エピタフ)
私は知っているのだけれど
この未曽有の感染流行(エピデミック)の中で
嘘の帝国に殉葬させられた中国人には
墓碑銘など残せないと (同書307頁)

つまり本書は、COVID-19が流行し始めて間もない武漢で非業の死を遂げた人々を弔うレクイエムであり、中国では搔き消されてしまう武漢の人々の叫び声を刻み込んだ墓碑銘なのです。

 このように、『武漢病毒襲来』は歴史的にも文学的にも極めて重要度の高い小説ではありますが、問題含みの作品でもあります。例えば物語中には、ついさっきまでピンピンしていたCOVID-19の無症状患者が突然倒れて死ぬシーンが数度描かれます。これは明らかにCOVID-19の症状として不適切な描写でしょう。フィクションと銘打っているとはいえ、COVID-19のように全ての読者が現実に直面している問題を扱うからには、読者の注意を削ぐようなリアリティに欠ける描写は避けるべきだっただろうと思います。
 また、邦訳のカバーには、黒地の背景に不気味に浮かび上がるガスマスクが描かれており、ガスマスクの目の部分には中国国旗が映し出されています。タイトルの黄色と帯の赤色は背景の黒色と相まって警告色をなしており、やや露悪的な印象を受けます。ヘイト本と見間違えられてもおかしくはないデザインだと言えるでしょう。帯の宣伝文句にはカフカの『城』やカダレの『夢宮殿』が言及されていますが、これらの作品を読む読者が、果たしてこのようなデザインの本に手を伸ばしたくなるのでしょうか?
 邦訳タイトルについても、「武漢ウイルス」とも訳すことができるはずの「武漢病毒」をなぜあえてそのまま残したのか、「襲来」という語が「來臨」の訳語として適切なのかという点については疑問が残ります。中国語の知識がないわたしには判断のしようがないのですが、日本語のタイトルの字面だけを見ると、必要以上に恐怖を煽るパニック小説のようなタイトルになってしまっているように見受けられます。
 とはいえ、こうした問題点を差し引いても、暴力的な力の影に押しつぶされた囁かで真摯な声をつぶさに書き留める廖亦武の仕事には、やはり大きな価値があると思います。今回のパンデミックで様々な形で被害を受けた人々の存在を忘れないためにも、本書がもっと多くの人に読まれてほしいと願います。


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