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『翻訳文学紀行』編集長感想:朴錫胤(ぱく・そぎゅん)作『生の悲哀』(影本剛 訳)

 朴錫胤の『生の悲哀』は、まさに『翻訳文学紀行』のような同人雑誌だからこそ紹介できた作品かもしれません。作者プロフィールを参照すると、作者である朴錫胤は、朝鮮総督府の研究員、「満洲国」外務官僚を務めた人物。つまり、一般的に作家としてではなくエリート官僚として認知されているようです。実際、訳者の影本さんによると、朴錫胤が発表した文学作品は本作品ただひとつきりなのだということ。つまり、『生の悲哀』は文学史からは取りこぼされてしまうような作品なのだと言えます。しかしながら、あるいは、だからこそ、影本さんは、朝鮮文学の系譜では評価されてこなかった本作品を日本で紹介することで新たな価値や評価が生まれるのではないかと考え、今回の翻訳に取り組まれたそうです。

 『生の悲哀』では、学校をさぼって加茂川[ママ]を散策する旧制第三高等学校の朝鮮人生徒Pの姿が描かれます。Pは道すがら、自由恋愛や資本主義経済について様々に思索をめぐらせるのですが、川辺にある工場のそばに建てられた朝鮮人労働者の粗末な「家」を目の当たりするや、ショックのあまりに絶句してしまいます。未完の小説であるため、やや尻切れトンボな終わり方ではありますが、短いながらも興味深い点が多い作品です。

 まず、この作品を読み始めた読者が惹きつけられるのは、なんといっても洗練された美しい自然描写でしょう。

東山は色がよいと日本でも有名だ。たとえ冬でも蒼い水がとくとく湧き出るような翠緑が長蛇のように山をなし、京都を半ばぐるりと包んでいる。いわんや春になればその蒼い光のなかにも層ができて、黒にちかい蒼と緑にちかい蒼が互いに溢れて調和し、自然の錦繡をなしている。(63頁)

東山の瑞々しい緑や、その色が季節とともに移ろう様子がありありと目に浮かんでくるような描写は、志賀直哉の『暗夜行路』をも彷彿とさせます。この作品をもとにすれば、美しい短編映画の一本も撮れるにちがいありません。後述するように、本作品には絵描きが登場するのですが、そういう意味でも、朴錫胤の美的センスはかなり優れていたように思われます。
 また、この後主人公が歩いてゆく加茂川沿いの描写も、現代の京都を知る読者にはなかなか興味深いものでしょう。

清いせせらぎに沿って、時には花畑で花を摘みもし、時には悠長に歩いてくる牛を避けもし、時には立ち止まって畑の中で働く自然人の平和な家族をじっと見つめもし、過ぎし日のこと、これからのことも考えつつ、上加茂という所へ向かってゆっくりゆっくり歩いて行った。(64頁)

花畑や農地が広がり、その中を牛がのそのそと歩く、そんなのどかな風景は、所狭しと建物が立ち並び、観光客が行きかう今日の京都には見る影もありません。

 さて、そんな豊かな自然の中を歩きながら主人公が思い出すのは、大学生の友人K君に誘われて、彼の婚約者で美術学校の生徒であったR嬢を訪問した時ことです。このふたりはどうやら恋愛の末に結ばれたカップルである模様。主人公Pはふたりに関して、世間は彼らに否定的な態度をとるだろうと考えつつも、ふたりの関係を理想視しています。

もちろんわたしは絶対の自由恋愛と自由結婚を主張するのではない。しかし少なくとも何かを知るという人はこれを理想とするべきだ。ともかく、結婚の第一条件は愛であるから、公正なる方法で愛のある結婚をすればよい……。(67頁)

この物言いに、わたしは思わずくすりと笑ってしまいました。さっきまでののびのびとした自然描写とは打って変わって、「恋愛」に関するPの言葉は、理屈っぽくて堅苦しく、どこかぎくしゃくしています。実感を伴った考えというよりは(Pはまだ、誰かに恋愛感情を抱いたことがないのかもしれません)、他人の言葉を引用して組み立てなおした主張のようです。
 実際Pの主張は、19世紀後半に西洋から新たにもたらされた「恋愛」に対する東アジアの知識人のコンプレックスを典型的に表しているように思います。例えば、夏目漱石や志賀直哉など多くの日本の作家が、恋愛ができなければ近代人たりえないのではないかと苦悩していたことは、小谷野敦の『男であることの困難――恋愛・日本・ジェンダー』に明らかです。また、1920年代の中国の男女が粋がって自由恋愛を楽しもうとして失敗する様子は、張愛玲の短編小説『中国が愛を知ったころ』にアイロニカルに描かれています。「恋愛」を(もちろんポジティヴなものとして)語ること、あるいは、「恋愛」をすることは、当時の東アジアにおいて、知識人、あるいは、近代人であることの象徴であったといえます。KとR嬢の関係について恋愛論を展開する主人公Pの口調には、知識人、近代人としてのポーズが見受けられます。

 これと同じことが、この回想の直後に展開される、紡績工場に対するPの批判についても言えるように思います。

現代の科学がもたらした燦爛たる外見を持つ機械! 機械の付属品になって右往左往する人々――少女たち! 現代の生活を呪いたい気持ちが沸きあがった。機械は人のために生まれたものだ。人が発明してみせたものだ。決して人が機械のために生まれたのではない。そのようなわけで性質上、人が当然のように機械を使用すべきであり、決して人が機械に使用されることは正しくない。機械は人の力の延長である、他人は機械の延長ではない……。(68頁)

エクスクラメーションマークの連続や、「呪いたい気持ち」のような言葉が、主人公の感情の昂ぶりを表してはいますが、使われているのは使い古されたイメージばかりで、後半はややトートロジー的ですらあります。わたしは、三高生(=知識人の卵)である彼の中に知識として蓄積されていた資本主義批判に関する言葉が、工場を目にすることで放出したというような印象を受けました。

 しかしながら、恋愛や工場に対する空虚な議論がこうして冗長に語られているからこそ、思いがけず貧しい朝鮮人労働者の赤ん坊を目の当たりにしたときの主人公の沈黙はぐっと引き立っているとも言えます。

わたしはその子どもがわが国の着物をまとっているのを確実に認めた後に、日本の着物をまとった子どもを見て受け取る印象とは異なる、異様な感覚を得ると同時に、理由なく心臓の鼓動が強くなることまでも悟った。(70頁)

ここで見事なのは、朴錫胤が主人公の感情に「絶望」や「悲しみ」、「衝撃」のような言葉を与えることなく、ただ「異様な」「理由なく」といったあいまいな表現を用いている点です。このあいまいな口調は、ついさっきまでの恋愛や工場に関する理論的で雄弁な記述とは鮮やかなコントラストをなしています。まだ言葉として把握されたり整理されたりしていない主人公の動揺が生々しく伝わってくる、非常にドラマチックな一文だと思います。

 絵画のように洗練された自然描写に、知識人風のしゃちほこばった演説口調、そしてその裏に無防備に隠れていた言葉足らずな感情の吐露。もしこうした文体を使い分けながら主人公Pの人物像を構成していたのだとしたら、朴錫胤は、かなり巧みな書き手だったと言わざるを得ません。もし少し運命が違ったら、作家として名を成していたとも考えられます。
 すでに指摘したように、『生の悲哀』は、物語の末尾に未完と添えられています。連載小説として構成されていた可能性もあるようです。果たして朴錫胤は、どんな運命を三高生Pに、あるいは彼の友人カップルに、そして貧しい朝鮮人労働者一家に用意していたのでしょうか。未完だからこそ、想像力の刺激される作品です。

[参照した本]


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