記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『チポロ』を読んで

こんにちは、ことろです。
今回は『チポロ』という本の感想を書いていきたいと思います。

『チポロ』は、著・菅野雪虫(すがの ゆきむし)、装画・笹井一個(ささい いっこ)のファンタジー小説です。
アイヌ神話がもとになっており、17章で構成されています。


主人公は、チポロ。
ススハム・コタンという村の小さな男の子です。最初は九歳、成長すると十二歳になります。
チポロの両親は幼い頃に亡くなっており、チヌという祖母と一緒に暮らしています。
父親が弓矢の名手だったのでチポロも弓を持っていますが、なかなか才能が出ず、獲物も捕まえられません。
普段はチヌが採ってきてくれた木の実や山菜などで食い繋いでいました。

ある日、チポロが打った矢にツルが当たります。
それはツルの神が、貧しいチポロを不憫に思い、わざと当たってくれたのでした。チポロは自分で獲ったと嬉しくてたまりません。
さっそくチヌに報告し、魂送りの儀式をしました。
すると、ツルの神が天に昇っていきます。
ツルの神は「これからも、自分の捕まえた獲物を大切に供養して、魂を送り返しておくれ」と約束させます。
チポロは、神様って本当にいるんだと驚きながら、今はもう珍しくなった魂送りの儀式をちゃんと行なっていくことを誓いました。

チポロは、その日から変わっていきます。
いつもは獲物が獲れないとき、ふてくされて何もしなかったのが、自信がついたのか、やり方を変えてみたり場所を変えてみたり、工夫をして狩りをするようになりました。
また、気持ちを切り替えるということも知りました。
とにかく、諦めないこと。
チポロは、ツルの神のおかげで少し成長することができました。


チポロが成長して少しずつ獲物を獲れるようになる頃、村には不吉なことが起こり始めます。
荒れ鹿が暴れて森から出てきたり、魔物のようなものが次々と現れるようになったのです。
チポロは村の中でもあまり交流のない方なので、そんな噂が立っていることを知らなかったのですが、幼馴染みの女の子イレシュが教えてくれて知ることができました。
イレシュはチポロより少しお姉さんで、いつもチポロのことを気にかけてくれます。
チポロとは違って、少し裕福な家に住んでいました。

そんなイレシュが、魔物に攫われてしまいます。
実はシカマ・カムイという神様とその家来一行が村に訪れる日があり、そのときに魔物が来ると助言を受けていたのですが、村の人たちは何もすることができず、まんまとイレシュを取られてしまったのです。

しかし、物語は三年の月日が経ちます。
イレシュが攫われてから魔物は一度もやって来ず、平和な日々が流れていましたが、チポロだけはイレシュを忘れられずに何か出来ることがないかとやきもきしていました。
またイレシュの家族も諦めきれずにいましたが、体調を崩し、もう諦めたほうがいいのかもしれないと思い始めていました。

チポロは、十二歳になりました。
弓の腕前も上がり、そこそこの獲物を獲れるようになりました。
また、シカマ・カムイの家来にいつかなりたいという目標ができたので、身体を鍛えることも続けていました。

ある日、商人から聞いた話でイレシュに似た人物が北の港町に現れるらしいこと、また魔物の住処もそこにあることを知り、チポロはたった一人、イレシュを取り戻す旅に出ることにしました。
チヌは快く送り出してくれ、ライバルだったプクサは小刀をくれました。

すると、ツルの神も現れ、旅のお供にミソサザイの神を紹介してくれました。
こうして、チポロとミソサザイの神の小さな旅が始まったのです。


この物語では、神様が身近に感じられる距離にいます。目に見える形で存在し、主人公を助けてくれます。

アイヌ神話には詳しくないのですが、オキクルミという名前は知っています。
とても人に近い神様、らしいです。
この物語では、ラスボス的な存在として登場します。

狩りをすること、生き物を食べるということ、動物たちも獲物として命をいただくこともあれば、神様として現れることもあり、昔話や伝説などの世界観で命の有り難みが伝わってくる物語です。

しかし、神様のすることには賛否両論というか、人間には相容れないことがあるなあということも物語には書かれています。
神様のような大きな存在、ましてや神様が人間を作ったのだから神は人間を好きにしていいというのは、人間である私たちには受け入れられません。
けれど、好きにしていいだろうと言う理由としては、人間が怠けて自然を汚したり、切磋琢磨して健康に生きることをしなくなったから、神様にすがって堕落していったから、というものでした。
これは人間が悪い。神様が愛想を尽かすのも無理はありません。
しかし、シカマ・カムイやミソサザイの神のようにまだ人間に愛想を尽かさず、助けてくれる神様もいます。
ほんの一部ですが、天界に帰らずに見守ってくれる神様がいるのです。


オキクルミには妹がいて、その妹神が人間のことを諦めきれなくて、怒ったオキクルミが一人で地上に残れと言い放ち、妹神はたった一人で人間を見守っていたのですが、いつしか人間との間に子供を授かり、人間と暮らすようになりました。

妹神はいろいろあって柳の木になってしまったので、もう天界に戻ることはできないのですが、オキクルミは妹神の子供を連れて天界へ戻ろうとしていました。
これが最後の地上でした。

その子供がススハム・コタンという村にいるということを知り、魔物を使って人攫いをしていたのですが、その子供がイレシュではないことを知り、激怒するオキクルミ。

神様が魔物を使って人攫いをするというのも驚きなのですが(それだと悪魔のような気がする)、オキクルミは堕落した人間は魔物以下の存在だと見下しているのです。魔物の方がまだましだと。
そして、イレシュを連れてきたヤイレスーホという蛇の家来を殺そうとしました。
地上での命の有り難みが伝わってくるシーンとは逆に、簡単に命を消そうとする神様。
そこにも、相容れないというかあまりにも大きな存在であることを認めざるを得ません。

イレシュとチポロは、ヤイレスーホが殺されるのを見たくなかったのでやめてほしいと懇願しました。
命の尊さを知っているのです。
たとえ敵であっても死んでほしくない。
神様だからといって、なんでも殺してしまうのはどうなのか。
堕落した人間だらけの中で、チポロやイレシュは清い心を持っていたので、オキクルミは願いを聞き入れ、ヤイレスーホの命は救われました。

また、オキクルミは妹神の子供を連れて天界へ行こうとしていましたが、断られたので、一人帰っていきました。

チポロとイレシュは無事に村に帰ることができ、めでたしめでたしとなるのでした。


いかがでしたでしょうか?
神様や命を身近に感じられる、あたたかい物語。
命をいただくときに「いただきます」と手を合わせる日本の、命の尊さを知っている習慣は、しかし今ではなおざりになっています。
チポロという少年の冒険譚・成長物語であること、イレシュの思いやり、人間と神様の相容れなさ、どんなに人間が堕落しても気にかけてくれる神様もいること、それは私たちがどんな人間であるかを胸に手を当ててもう一度問い直す大事な物語だと思います。

ファンタジーという形をとることで、わかりやすく魅力的で児童文学としてふさわしい物語になっていると思いました。

長くなってしまいました。
それでは、また!
次の本でお会いしましょう~!

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?