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「中川さんがうまいのは分かるんだけど…」と言われ続けた話

私が”脚本家予備軍”だった頃のこと。
当時、自主制作の舞台などの脚本は書いていましたが、商業作品ではプロットライター(本格的な脚本づくりが始まる前に、大まかなあらすじやキャラクター設定を考える仕事)の経験しかありませんでした。

脚本家予備軍の人間が商業作品のプロットライターを務める場合、プロットが固まって、いよいよ脚本へ……という段階になると、実績のある先輩脚本家にバトンタッチするのが一般的な流れです。
ですのでプロットライター達はいつも、プロデューサーから「脚本もあなたに任せます」と言われることを切望しています。
が、願いはそう簡単には叶わず、ひたすらプロット書き続ける日々が続く場合が多いです。
当時の私もこの状態で、「いつになったら脚本が書けるようになるんだ!」と、ふがいなさや自分への憤りで、はちきれそうになっていました。

そんなある日、とあるプロデューサーからこう言われました。
「中川さんがうまいのはよく分かる。すごくきれいなフォームでパンチを打ってくる感じ。でもノックアウトはされない。感情に任せてめちゃくちゃに殴りかかってくるヤツの方が強いってこともあるからね」

実は当時、表現は違えども、同じ意味合いのことを色んな人に言われていました。
そして正直なところ、言われる度に内心ものすごく腹を立てていました。
「こっちはうまくなりたくて、あれこれ勉強してきたのに、うまくなったらなったで『うまいんだけどね……』って、何なんだ!」
と、思っていたわけです。

その苛立ちをどのぐらい上手に隠せていたかは分からないんですが、一応自分では平静を装っていたつもりです。
ところが、どうにか平静を装っている私をさらに動揺させる存在がいました。
それは”はっちゃけ系プロットライター”。
いや、そんな呼び名は一般的でも何でもなく、私が勝手に作ったんですけども。

上述の通り、プロットライターは脚本家予備軍の人間が務めることが多く、複数名がプロデューサーに集められてアイデア出し会議をする、同じ課題で各自が原稿を提出し、プロデューサーが良いと判断したものが採用される、といったこともあります。
そういった場に、そこそこの確率で現れるのが”はっちゃけ系プロットライター”です。
大抵の人は「中川さんみたいにスクールとかでちゃんと勉強したことはないんですけど、自主制作でいろいろやってます」と言い、”自由人”みたいな雰囲気をまとっています。

この”はっちゃけ系”の人は、例えば原作モノのプロットを書けと言われると、「原作、ほぼほぼ無視してるよね?」みたいな、自由な原稿を書いてきたりします。
するとプロデューサーが、”ちゃんとしたプロット”を書いてきた私を尻目に、はっちゃけプロットを褒める場合もあるわけです。
「いいよね~、こういうのもありだよね~」なんて目の前で言われると、私はもう、平静などを装えていなかったと思います。
おそらく「何やねん、それ!」という気持ちが顔に出てしまっていたことでしょう。
今となっては、怒っていた自分が間違っていたのだと分かります。
プロデューサーにとっては、”はっちゃけプロット”の方が面白かったのですから、そちらを評価するのは当然のことです。

とにもかくにも、当時の私は「うまいんだけど……」と言われる度に憤り、それを打破する術も分からず、日々プンスカしていたわけですね。
でも今振り返ると、いろんな人に「うまいんだけどね……」と言われ、プロットは任されても脚本は書かせてもらえなかった理由が分かる気がします。

つまり、私が言われていた「うまい」というのは、「作劇のルールやセオリーをよく知っていて、きちんとそれに則って書けていますね」ということであり、「その点については、”脚本家予備軍の人たちの中では”うまいですね」という意味だったのだと思います。

たとえるなら、「調理師免許の試験に、とても良い成績で合格しましたね」みたいな感じ。
でも試験に好成績で合格した人が、お客さんが「お金を払ってでも食べたい!」と思う料理を作れるとは限りません。
調理師免許を持っておらず独学でも、驚くほどおいしいものを作る人もいるわけで、当時の私の原稿は「正しく書けてはいるけれど、強く人の心に響くものではなかった」ということなのでしょう。
「学んだことを正しく行えているかどうか」と、「プロとしてお金をもらうレベルであるかどうか」は話が別。
当時の私には、これが分かっていなかったのです。

それと同時に、「まずは正しく書けるようになるために、正しく学ぶ段階が、私にはどうしても必要だったのだ」とも思います。
これも今になって分かることですが、私は「ルールやセオリーを学んだ後で、独自性が発揮できるタイプ」だったのだと思います。
逆にはっちゃけ系の人は、ルールやセオリーを知らない段階だったとしても独自性は際立つ、ということなのでしょう。
そして、はっちゃけ系の人にも、私とは違った苦労があるのだと今となっては分かります。
商業作品の脚本を書く場合、どうしても予算やスケジュール等の制約が付いて回るので、「自由度を下げられても独自性を発揮すること」が、はっちゃけ系の人にとっての壁になる場合が多いようです。

さて、こんな話を長々と書いたのは、脚本家に限らず、さまざまなクリエイティブ系の職に就くことを目指していて、それが叶わずにいる人に役立ててもらえるかも、と思ったからです。
「努力はしているし、その分、前進もしているはず。なのに認められない!」と感じている人が、きっと大勢いますよね。
気持ちは本当によく分かるのですが、今、自覚している「前進」は、「正しくできるようになることをゴールと設定した前進」なのかもしれません。
だとすると、おそらく次に目指すべきは、「基本を身につけたからこそ発揮できる独自性を見せること」である確率が高いです。

改めて私の経験を振り返ると、脚本家になるまでには以下のような流れがあったように思います。
1)「コメディーが書きたいな」と思い、脚本の勉強を始める。
2)スクールに通ってコメディーを書いてみるが、教室内でまったくウケない。
3)「私って下手なんだ!」と自覚し、作劇のルールとセオリーを真面目に学ぶ。だが、基本的にコメディーは書かない。書いてみてウケなかったので、「向いてないのだろう」と思っていた。
4)主にシリアスな作品で「うまいんだけどね……」と度々言われるようになる。
5)「もともとはコメディー書きたかったんだった!」と思い出し、原稿に極力笑いの要素を入れるようになる。
6)プロデビュー

細かく言えばもっと紆余曲折がありますが、ダイジェスト版でお送りするとこんな感じです。
要は、基礎が身に付いた段階で、改めて「もともと書きたかったこと」を書き始めたら、認めてもらえるようになったということです。
読んでくださった方にとって、何かの参考になればと思います。

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