喫茶店の人 #3 【珈琲ん】 Sさん
“珈琲ん”の創業者は旧満州国生まれのSさん(87歳)。
物心がつく前に満州鉄道に勤めていた両親を亡くし、天涯孤独になった。日本に引き揚げたものの、知り合いの間をたらい回しにされながら育ってきた。身寄りのないSさんを引き取ってくれたのが神戸の人だったので、神戸には恩と思い入れがある。
「自分で学費を払いながら香川大学を卒業した後に、ドイツとの関わりが深い徳島高等工業学校(旧制専門学校)に行きました。その学校の関係でドイツの客船“オイローパ”に乗務員として就職。船内の調理を担当する船舶料理士としてパンを焼いたりお菓子を作ったりしていたら10年があっという間に過ぎ去りました。日本に帰ったら各地で集めたアンティークを飾れるコーヒー屋をやろうと構想していたので、航海を終えたあとはスムーズでしたよ」
10年の航海を終え陸に上がったのが、港のある神戸だった。1972(昭和42)年、トアロードで念願のコーヒー屋を開く。
「店はビルの3階にあるから入ってきにくい。抽象的な店名と看板があれば印象に残るかなと思って、“ん”と名付けました。
わかりやすいひらがな一文字であれば、店名はなんでも良かった。
抽象的な名前にしたら、人は受け取りたいように受け取ってくれますからね」
お客さんがお客さんを呼んでくれる店にするために、人の心に残る方法を考えていた。
「1972年当時、周りの喫茶店はコーヒーを1杯120円で出してたのに僕は490円で出したんです。価格が高くても『それだけの価値がある』と納得してもらえればお客さんは来ます。リッチな気分でコーヒーを味わってもらうために、カップはロイヤルコペンハーゲンや大倉陶園を使用。船に乗っていたときの制服を着て接客して、客船の旅を演出していました」
コーヒーを490円にしたのには、もうひとつ理由がある。
「500円を出したら10円のお釣りが返ってくる。銀行でまっさらな10円玉に替えてもらってお釣りを渡しました。それが印象に残ったとお客さんから聞きました」
「トアロード時代の“ん”を知っているお客様から、何十年も前に手垢の付いてないピカピカの硬貨をもらった思い出話を聞きました。Sさんの印象戦略は成功していますね」と現在“ん”を切り盛りする海老原さんも話に加わる。
トアロードで創業した“ん”は夙川、御影、北野坂と10年周期で場所を変えて新しい店舗を作ってきた。
「僕が店に立つのは10年をめどにして、10年目以降はやりたい人に店を譲ってきました。“ん”という名前を広げたかったんです。夙川を前の妻に、御影を常連客に譲ったあと北野坂で最後の“ん”を開きましたが、70歳のときに引退しました。夙川と北野坂はすでに閉店して、残っているのは御影だけですね」
“珈琲ん”名物「ワゴンを席の前に運び、お客さんの目の前でドリップする」スタイルはSさんの考案。
“ん”のコンセプトは5代目マスター・海老原さんが守り続けている。
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