喫茶店の人 #4 【鎗屋町喫茶室 街の灯り】 藤本由美さん
黄昏時を過ぎると、ひときわ目立つ灯り。
人々を照らす灯りは、安らぎの象徴だ。
藤本由美さん(58歳)が母親とともに喫茶店「more」を営んでいたのは40年前。喫茶店の出店が最盛期を迎えた70年後半〜80年初頭は喫茶店黄金時代だ。専門店のようにコーヒーの種類が多かったこともあり、店は繁盛した。
「母は百貨店内の喫茶店の店長をしながら、いつか自分で店をやろうって計画してたみたい。私はアパレル系の会社で働いてたんだけど母の手伝いをするために辞めました。喫茶店に行かないとコーヒーが飲めない時代だったし、会社の会議室代わりに一日に何回も来る人がおったから繁盛してましたよ。ただ、私は娘ってこともあって給料を全然貰われへんかってん。
17時まで働いたら店があった大阪市西区新町から心斎橋まで自転車を漕いで、心斎橋の『たくみ』という喫茶店で23時まで働く生活を続けていました。高校時代もずっと喫茶店でバイトをしていたくらい喫茶店が好きなんです。今もお客さんとして喫茶店に行くのが好き。私にとって喫茶店は社交場で、マナーを教わる場所でした」
「more」は十数年で閉店し、由美さんは別の仕事に就いた。母親はすでに他界している。
「アロマのインストラクターやセラピスト、レストランの企画職など寄り道はしてきたけど、母と同じようにいつか自分の喫茶店をやりたいって夢があったの。昭和の純喫茶感が漂う理想の居抜き店舗を見つけて、2018年に『街の灯り』を開店しました。店のコンセプトは『昔からどこにでもある。だけどここにしかない喫茶室。』
今は息子の拓也と一緒に店に立ってるんだけど、母と喫茶店をやっていた頃のことをよく思い出すねん」
母親は八千草薫似の楚々とした女性。「母とは全然似てへん。一緒に働いていたときは母娘だと気づかれなかった」と由美さんは屈託ない笑顔を見せる。喫茶店好きの遺伝子は母親譲りだと思う。
店名は由美さんが少女時代に好きだった堺正章の曲「街の灯り」から名付けた。いつかマチャアキが店の扉を開けてくれますように。
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