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ボードレール「結婚は人生の墓場」の出典を検証してみた

 

はじめに

 世間には「結婚は人生の墓場」という成句がある。
 調べてみると、この成句の出典はフランスの詩人シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』であるとする言説がインターネットに数多く存在している。
 彼ら曰く、この「結婚は人生の墓場」とは邦訳の際に生じた誤訳の産物であって、本来「誰彼構わずまぐわう恋愛はやめて、墓のある教会で唯一愛した人と結婚しなさい」という説諭だったという。だが「結婚などしようものなら人生が墓場となる」という意味にとらえられて翻訳された結果、本来誤訳である方の解釈が広まってしまったとしている。
 本稿では、ボードレールの言とされているものが、果たしてどこにあるのかを検証してみたい。
 なお検証にあたって、原文は所謂「第3版」を、邦訳は堀口大學訳『悪の華』(新潮社、2021年)と福永武彦編『ボードレール全集 第1巻』(人文書院、1963年)を参照している。

1.「結婚は人生の墓場」の出典検証

 結論から述べると、そのような成句は『悪の華』の中には無い。
 邦訳はもとより、原文にすらそのような詩句は存在していないので、誤訳以前の問題である。
 したがって「結婚は人生の墓場」の出典はボードレールの『悪の華』によるとする言説はデマである、といえる。
 しかし、そもそもそんな詩句が存在しないにもかかわらず、この言説がまことしやかに語られているのは何故なのだろうか。
 あくまで仮説だが「堀口大學の訳詩に対する批判」次いで「詩人のイメージによる捏造」の二点が挙げられるように思う。

2.風説の流布――堀口大學訳について――


 わたしが検証で用いる資料として堀口大學の訳を参照したのは『悪の華』に関連する補遺や諸詩篇が収録されていることもあるのだが、この虚言が堀口訳に対する評価に関連しているのではないか、という仮説に従ったからである。
 堀口大學の訳詩は一部を除いて文語体で、かつ超訳ともいえるほど意訳が多い。『悪の華』だけを例に挙げても「小さく萎れた老婆達(仏:LES PETITES VIEILLES)」の2連2行目に「楊貴妃か出雲阿国というところ!」と訳しているのである(原文通りなら「エポニーヌかライス」と翻訳するべきところだが、堀口はギリシア神話の登場人物では文化的距離が遠いことを理由に東洋の人物で置き換えている)。
 或る意味ボードレールの詩ではなく堀口の詩と化している状態であり、これを誤訳と評して忌避する読者も少なくない。1857年版の『悪の華』を邦訳した平岡公彦は、自身のブログで堀口訳の『悪の華』を「悪質な翻訳」と批判している(該当のブログはこちらから)。決して原文に忠実な訳ではなく、しかも意訳の程度も甚だしい堀口訳が好ましくない評価をされるのも道理であろう。
 しかし存在もしない「結婚は人生の墓場」なる成句が、あまつさえ「誤訳の産物」という尾ひれがついてしまっているのは、恐らくそうした堀口訳への批判を利用してのものではないかと考えられる。
 「堀口訳『悪の華』には誤訳がある」という事実を歪曲し、結果としてそのような捏造がなされたのであろう。

3.詩人の印象に起因する捏造

 換言すれば、顔つきや性格、生きていた時代を総合して「この人はこれを言っていてもおかしくない」という印象が捏造につながった、ということである。
 実際、ヴォルテールのように、本人が語っていないはずの言葉が、いつの間にかヴォルテールの言葉として受け取られてしまうことは多々ある(リンク参照)https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000324393
 詩をあまり読まない人にとっては、ボードレールという詩人を知らなくても特段おかしなことではないから、ヴォルテールの例のようになっているのであろう。
 しかし、いくらボードレールのことを話しても、良くて「とにかく凄い詩人だったのだ」程度の認識で止まってしまう。その印象のまま「結婚は人生の墓場という言葉は、誰彼構わずまぐわう恋愛はやめて、墓のある教会で唯一愛した人と結婚しなさい、という意味だったんだよ」等と、まことしやかに語られたとしても、さして疑うこともなく時間が過ぎて、どこかで事実だと歪曲してしまって、結果デマがデマを呼んでいるのだろうと思う。
 すなわち、ボードレールが『悪の華』において、そのようなことを書いていないにも関わらず「ボードレールならそう言ったかもしれない」という考えが形成されてしまい、こんにちもそうした風説が蔓延しているのであろう。
 

おわりに

 ここだけは私怨をお許し願いたい。
 https://x.com/nikkei_kotoba/status/1016948600041926656

 個人のサイトや投稿ならばいざ知らず、こともあろうに全国紙の校閲担当が、典拠も無しにボードレールが言ったなどと吹聴している。
 本稿執筆の動機は、たまたま読んでいた『悪の華』にそのような言葉がある、ということをどこかで知り、読み進めてはみたものの該当箇所を見つけられず、疑問をもって調べてみたら、無根拠の言説であったことに慄然としたからである。
 上記のポストは本稿執筆中に見つけたのだが、投稿者は題材も読まずに適当なことを言うのが職域なのか、一度お聞きしたいものである。
 皆様も嘘にはお気を付けてお過ごしくださいませ。

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