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紡いでいく命と命の大切さ~村上春樹「猫を棄てる」を読んでの感想文



 

私事ではあるが、先日数年ほど介護をしてきた義父を亡くした。

昨今のコロナ禍により、通夜も葬儀も四十九日も義父が旅立った日が経つにつれて内容は簡略化することになった。
この夏の新盆についても省略しないといけないことはおそらく起きてくるだろう。

 義父と過ごす時間がぽっかり空いてしまった私が外出自粛中に久しぶりに手に取った本が村上春樹の「猫を棄てる」であった。

作者の作品から、おそらく書くことを避けているのではと感じていた作者自身の父親との思い出と激動の時代に我が命を翻弄された一人の若者について書かれているわずか100頁あまりの本なのだが、これがなかなか読み進むのに苦労をした。

 理由があるとしたら、私は作者と同じくらいに義父の人生をぼんやりとしか知らなかったからである。
それは夫も同じことである。

作者と父が猫を棄てに行くエピソードをはじめ、読みすすめていく度に、うちの義父はどんな人だったのだろうという思いが湧いてきてしまい、それが読書スピードを一気に落としてしまったのだ。

しかし、そのおかげで夫婦の会話の中でお互いに知らない義父のエピソードを知ることも出来た。
もしかしたら、それはわずかながらも義父の供養にもなったのかもしれない。

 一般的には親は子どもより先にあの世に旅立つ。
亡くなった後でわずかなエピソードでも「あの人はこんな人だった。こんな思い出がある。」と語ってもらえるのは、その人がささやかながらも日常を誰かと生活をし、周りにある程度良好な人間関係や子孫を残してきた証なのかもしれない。

 幸い、私には義父のことも自分のことも伝えられる子どもがいる。
今のところ、わからない義父のことも、もしかしたら後々わかる日もくるかもしれない。
紡いでいく命というもの、それぞれの命の大切さとはそういうものかもしれないと私は思う。
それを後世の人々に先祖のことは知らないし、思い出したくもないと思われるような生き方はすまいと改めて思った。

作者の父が棄てたはずの猫が帰宅した時、なぜか自宅にいたことに安堵した顔は、そういうものをよく知っていた作者の父だからこその顔で、それが子どもだった作者に印象が残った思い出なのかもしれない。

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