わすれられないあの日のこと
大学受験を終えて1年以上経つ。
わたしは「この高校からは絶対に無理だ」と言われた大学に進学した。しかし、自分の学歴を誇るとか、謙遜するとか、そんな気持ちはない。
ただ、今のわたしがあるのは、明らかに「あの日」のおかげだ。今日はその「あの日」の話をしたい。
数学が本当にできなかった
私はいま経済学部に所属して、授業があるときは数式と戦っている。
とはいえ数学が得意だったわけではなく、むしろ大の苦手で、本当に何もわからなかった。
中学時代、得意だった国語と数学の偏差値は10違うこともあったし、塾の先生も学校の先生も苦笑い。
それでも行きたい高校があって、半泣きで必須科目である数学と向き合っていた。
しかし芽は出ず、過去問を解いても、入試3ヶ月前、100点満点中、合格点6割で、私は2割を切る日々を送っていた。
あの日
某通信教育のサービスで、過去問添削講座があった。添削してくれるだけではなく、大学生と私をzoomで繋ぎ、解き方や記述の解説をしてもらえるというもの。
その日私を担当してくれたのは、私の志望高校から、ある優秀な大学に進んだ先輩だった。
大学生と関わる日常は送っていなかったが、その人はくだけた感じで話してくれて、教える、というより一緒に頑張る、というスタンスで言ってくれた。
そしてその人は言ったのだ。
驚いたことに、このzoomを終えた後、私の数学の成績は急激に伸び、10月にE判定だった第一志望校は1月にはA判定が出た。
いつもできないと自分でも思っていたし、周りの人もできないと思っていたから、卑屈になっていた。でもこの人は違った。ちゃんと肯定してくれて、認めて、応援してくれたのだ。
今になって
結局その高校には不合格だった。ついでに他に受けた高校も落ちたので、高校浪人寸前だったが、なんとか高校に進学した。
苦しかったけど、一度「できる!」と思えたことは強く、私はあの大学生の通う大学、そして学部を目指した。
大学にこそ届かなかったが、その人の所属していた経済学部にはたどり着いた。
私が経済学を志したのは、興味があったことだけでなく、その人が専攻していたというわりと邪な理由だった。
でもいまはこの学問を信じて、大学で学んでいる。
そして、あの日の憧れに、感謝に少しでも報いることができるように、塾のチューターとして、誰かに与えられるように頑張っている。
もうどこにいるかわからないけど、あなたにどうかこの気持ちが届くように、今いる場所で頑張っています。
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