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アニメ映画「銀河鉄道の夜」の魅力

夏の夜にお薦めな映画「銀河鉄道の夜」

原作:宮沢賢治
監督:杉井ギサブロー
原案:ますむらひろし
脚本:別役実
音楽:細野晴臣
出演:田中真弓、坂本千夏、納谷悟朗、常田富士男ほか

アニメーション映画「銀河鉄道の夜」が劇場公開されたのは今から30年以上前の1985年だ。
この映画はそれだけ古いのにも関わらず、俺を含め多くのファンからいまだに根強く支持され愛され続けている作品なのである。
その証拠に劇場公開より30年近い年月を経た2014年5月にはBlu-ray Disk化され、また、2018年11月には未発表音源を加えた特別版サウンドトラックが発売されているくらいなのだ。
今回はこの映画の1ファンとして、この映画の魅力を「俺はここにヤられる」という思いでもって語らせて頂く。

ヤられるポイント1
宮沢賢治さんの描く世界観が損なわれていない

「イーハトーブ」という造語に代表される賢治さんが描く独特な世界観に魅了されている人は多いと思う。
そして、その「イーハトーブ」の文字に反応した人はこの作品を見るべきだろう。
何故ならこの作品は賢治さんが描く世界観を損なうことなく見事に映像化しているからだ。
映像化すると時間の制約がある。その為に原作の様々な場面は当然に取捨選択される。しかし、主要な場面はほぼ納められていると言っていい。
そして、描かれているシーン全てが美しく幻想的なのだ。
是非とも多くの人に見て頂きたい。
彼が描いた作品の心象風景に胸騒ぎがしたとか、胸がキュンとしたとか、心がざわめいたとか、精神やら感受性やらを揺さぶられたとか、そういったような経験がある人はこの作品を見なければいけない。
とにもかくにも宮沢賢治さんが少しでも好きな人であれば、まずは見て欲しいというのが正直なところである。

ヤられるポイント2
登場人物の多くを擬人化した猫にしたのが秀逸

原作の登場人物は全て人間なのだが、この作品で描かれる登場人物の多くは擬人化された猫のキャラクターなのだ。で、この設定が秀逸。
この作品の素晴らしさの一つである美しく幻想的な背景や、我々の住む世界の何処かにありそうで無さそうな作り込まれた素敵な町並みと擬人化された猫のキャラクターが見事に調和しているのだ。
登場人物を猫にすることで我々が住む世界とは別のパラレルワールドを上手く作り出しており、それがこの作品を色褪せないものにしている。時代や地域を越えた普遍性のある作品にしているのだ。
また、猫特有の表情の読み取り難さが活かされているのも良い。
登場人物の表情から感情を読み取ることが全体を通してほぼ難しい為に、物語は淡々と進んでいき、見る側の精神を何となく不安にさせるところがある。この作品を見ていてその辺り妙な胸騒ぎがするのだ。
そして、表情が読み取り難いことが、見る側に対して「あなたの解釈に大きく委ねるよ」という余地を生んでいるのだ。表情が読み取り難いので見る側の想像力が膨らむ仕掛けになっている。

ヤられるポイント3
細野晴臣さんの音楽が至高

この作品が名作である理由の半分くらいは細野晴臣さんの音楽が至高であるからだと個人的には思っている。
部屋のBGMとしてこのアニメ映画を流すのもアリだと思う。それくらいに音楽が素晴らしい。
流石YMO。
テクノで一世を風靡したり世界各地の民俗音楽を取り纏めたりした御仁なだけのことはある。
劇場公開後30年以上経った昨年に特別版サウンドトラックが発売されるのも頷ける。
因みに俺は高校時代に買ったこの作品のオリジナルサウンドトラックをいまだに聞いている。
メインテーマ曲の「銀河鉄道の夜」とかホントたまらん。
そして「別離のテーマ」とかマジでヤバい。勿論良い意味でヤバい。
勿論それ以外の曲も本当に素晴らしい。
是非多くの人にこの映画の音楽を聞いて欲しい。

ヤられるポイント4
エンドロールのときに常田富士男さんが「春と修羅」序を朗読

物語が終わると細野さんの至高の音楽(メインテーマ曲「銀河鉄道の夜」)と共にエンドロールが始まるのだが、その途中でなんと常田富士男さんが賢治さんの心象スケッチ(賢治さんは「詩」ではなく「心象スケッチ」という言葉にこだわった)「春と修羅」序の一部を朗読されるのだ。
いや~これもヤバい。勿論良い意味でヤバい。
「まんが日本昔ばなし」の声優としても有名な常田さんの声と細野さんの音楽、しかも朗読されているのは「春と修羅」。
もう俺なんてドーパミン出まくりである。意識が宇宙と繋がるというのはこ~ゆ~ことではなかろうかと思う。
これはヤバい。(俺がヤバい)
因みに、常田さんが朗読されている「春と修羅」序の一部は以下である。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

そもそもこの「心象スケッチ」がたまらんのにも関わらず、そこに細野さんの音楽と常田さんの声がプラスされたら、俺なんぞ昇天してしまいそうなくらいにぶっ飛んでしまうというものである。
因みに「春と修羅」を読むと宮沢賢治さんの凄さが改めて分かるのだ。難解だけど。
この心象スケッチを読めば、賢治さんが我々の住むこの世界をどう捉えていたのかを少しだけ理解出来ると思う。
様々な宗教的な知識(仏教、キリスト教、神道の知識と身に付いた慣習)を背景に優れた感性でこの世界を捉えていたことに加え、一方で学者・農業技術者としてこの世界を科学的・物理的に捉えていたことが「春と修羅」から読み取れる。
なるほど「詩」ではなく「心象スケッチ」という言葉が適切ではないか。
その「春と修羅」を常田さんの声で最後の最後にぶっ込んでくるのだから、このアニメ映画、マジでヤバい。

ヤられるポイント5
ストーリーを上手く追えない

いや、ざっくりとしたストーリーはあるのだ。
だが、ワクワクするようなストーリー展開があるわけではないので、ストーリーを上手く追えないのだ。
これは原作にも同様のことが言える。というよりも、原作の世界観をそのまま映像化した為にストーリーを上手く追えないのだという認識で良いと思う。
人によっては退屈な誰かの夢の話を延々と聞かされているような心持ちになるのではなかろうか。
実際、子供の頃の俺がそうだった。子供の頃に最初に見たときの感想は「よく分からないし、つまらない。でも何か気になるのでもう一度見てみよう。」である。
そりゃそうだ。この映画はストーリーを追うのではなく、感受性を研ぎ澄まして詩や絵画を深く味わうかの如く臨む必要があるのだ。
「俺よ、感じろ」という姿勢で鑑賞するのが正解なのではなかろうかと思う。
ぶっちゃけ解釈するのが難解なところもある。
難解だから何回も見てしまうというしょ~もないダジャレを言いたくなる作品でもある。
なかなかの難易度、文部科学省推薦の看板は伊達ではない。

ヤられるポイント6
「本当の幸せとは何か」という作品のテーマについての明確な解答がない

「銀河鉄道の夜」の重要なテーマの一つが「本当の幸せとは何か」である。
だが、それに対しての明確な解答はこの映画にはない。見る側に委ねられている。
そりゃそうだ。原作もそうだもの。
ま~ただ、原作を読んでも映画を見ても、「自己犠牲の精神なんてものがひょっとしたら幸せに繋がるのかもよ~」みたいなニュアンスはある。
実際、宮沢賢治さんの様々な作品を読んでもそのようなニュアンスはある。
でも単純に「人の為に自分を犠牲にしましょう」みたいな話ではなくて、賢治さんが言うところの自己犠牲の精神は、人間も数多くある生物の種のうちの一つとして、食物連鎖を含めた生態系の一員として、生き物としてどう振る舞うべきかみたいな内容も含まれているとおそらくは思われる。
そういったことを内包した自己犠牲の精神が本当の幸せに繋がるのかもね~みたいなニュアンスなのである。
それでも、「絶対にそうなのだ、そうすべきなのだ」みたいな押し付けがましいものはどの作品にもない。
あくまでも賢治さんの願望として「そうありたい」みたいなところなのであろう。
小説「銀河鉄道の夜」が4段階推敲された後そのまま未完であることはわりと有名な話だ。
これは「本当の幸せとは何か」というテーマに答えを出せなかったからではなかろうかという話もある。
ま~確かに出せれんよな~と思う。
自分の喜びは他人の喜びがあって成立するみたいな話は案外世の中の多くの人が共有しているものだと俺も思うのだけど、では果たして「本当の幸せとは何か」と問われると、う~ん、ムズカシイとなってしまうわな。
で、そんなことを考えながらボーッとこの映画を見たりするわけなのだ。

あ~まとまりもなく、また長々とクドクド書いてしまった。
整理して書くつもりが好きなこととなるとどうしても長くなる。

でも夏の夜にホント、オススメなのだ。

現世(うつしよ)と常世(とこよ)の狭間である盆に見るのが個人的には一番効く。

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