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木が多すぎる件

木が多すぎる。
山や川のある方へ車で移動する度に「なんか木が多すぎじゃね?」と思うのだ。
そう思うのは、手入れが行き届いていない森林が増えているからであろう。てか、どうしてもそ~ゆ~目で見てしまう。

日本は国土のおよそ70%が森林であり、世界でも有数の森林大国だ。え?、7割?、やっぱ木ばっかりじゃね~か。
国土の約7割を占める森林の面積は50年前頃からたいした増減はなく、約2500万haで横ばいだという。
森林面積はずっと変わっていないのだ。あ~、我が国はずっと木ばっかりだったのか。
ところが、人工林は50年前と比べ約30%増えており、約1000万haあるという。
人工林とは言わずと知れた戦後の拡大造林によるスギやヒノキなどの育成林である。
日本の国土面積は3780万haなので、我が国の面積の1/4以上にスギだのヒノキだのが植わっていることになる。おいおい、スギヒノキパラダイスではないか。
そりゃ~花粉症になる人間も増えるわという話。過去のこととはいえ、やっちまった政策である。

更に困ったことに、森林の体積が増えているのだ。
「森林蓄積量」という言葉がある。これは森林を構成する樹木の幹の体積のことで、この森林蓄積量が増え続けているというのだ。
なるほど、切らん限り木は成長し続けるわなという話。
森林蓄積量は50年前より約2.7倍に増えており、特に人工林は約6倍に増えているという。

我が国の森林事情は、面積は変わってないけど体積は増え続けているということだ。
我が国のホモサピエンス事情は少子高齢化がどんどん進んでいるが、一方で我が国の樹木たちはどんどん太く高く成長し続けているわけである。
どうしてこうなったかと言えば、それは単純に木を切っていないからである。

国策として造林をしてきたが、需要を見誤ったと言っていいだろう。
昔に比べて我々日本人は木を使わなくなったのだ。
そして、使う木材も安い輸入木材が普及したのである。それらが悪いということではない。しかし、それらが原因となり、結果として林業が廃れ木材自給率が低下したことは我が国の森林事情にとって残念なことであろうと思う。

「いやいや、困ることでもないし、残念がることでもないよ。使用すべき森林資源が充実してきてるってことでしょ?」という意見もあろう。
でも実際のところ、人工林などは利用されずに放置されているから増える一方なわけである。
現状では森林資源の有効活用は出来ていないと言って良いのではなかろうか。
林野庁が「木をもっと使いましょうよ」と「木づかい運動」とやらをだいぶ前から展開しているようだが、たいした効果を得てはいないのではなかろうか。てか、今回調べるまで俺はそんな運動知らんかったわ。

実際のところは必要な伐採がされていないから困った事態になっているのだ。
花粉症だけではない。間伐されずに放置された荒廃した人工林は土壌が流れ易く、山崩れ等の危険性が高まるという。その危険性が昨今の大雨により説得性を持ってしまったとか何とか。

そして、野生鳥獣による被害も深刻である。
動物による被害はニュースでもよく聞く。クマ、イノシシ、シカ、更には、イタチ、アライグマ、ハクビシン、盛りだくさんである。
里山が間伐されていない為に野生鳥獣と人間とのゾーニング(棲み分け)が機能しなくなったのだ。
間伐などの手入れ・管理がされた里山があった頃は、その里山が野生鳥獣と人間社会との間のグレーゾーンの役目を担っていたわけだ。しかし、間伐されずに放置され荒廃した里山は野生鳥獣の棲みかになってしまうのだ。
昔は、【野生鳥獣の世界】―【間伐された里山(グレーゾーン)】―【里(人間社会)】であったのに対し、現在は【野生鳥獣の世界】―【里(人間社会)】になってしまったのである。すぐそこにある野生鳥獣の世界である。間(グレーゾーン)がない。
野生鳥獣が増えたのは暖冬傾向にあることや狩猟する人が減少していることも理由としてあるだろうが、里山が適切に管理されていないことも大きな理由であるのだ。
里山は間伐してなんぼということ。
因みに、野生鳥獣の世界には害獣だけでなく害虫なんかもいっぱいいるってことだ。(みんなキモい虫キラいでしょ?)

ここでちょっと待ってくれと俺は言いたい。

おいおい、30年くらい前の俺が子供だった頃は、人間が森林を破壊するから、人が木を切り倒して森を壊すから、野生鳥獣の棲みかがなくなり人里に来るようになったのだとか言ってたんだぜ?
当時は「木を切ることは悪だ」くらいの刷り込みがあったんだぜ?
「森を守ろう。野生の動物たちの棲みかを守ろう。」みたいなノリがあったんだぜ?(勿論、今の世界でも先進国を中心にそういった流れはあると思う。日本はちょっと事情が特殊なのかも。)
ジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』とか見たら森林破壊は良くないとか思うもの。あ~、やたらと木を切ってはいけないのだと子供の頃思ったもの。
ところが、木を切らなすぎて森林の体積が増えて野生鳥獣が増えて被害増えたとか何の皮肉なわけよ?

俺が子供の頃は「森林破壊はダメ」、「森林を守る」=「やたらと木を切ってはダメ」みたいなイメージがあった。ひょっとしたら俺やその周りだけなのかも知れんが、おそらくはそういったイメージを世間で共有していた時代があったと思う。

でも、今は「森林破壊はダメ」だけど、「森林を守る」=「木はある程度切る、守るとは管理すること」という意識でなくてはならんわけよ。
でも、まだまだこのような意識は我々日本人に根付いてはいないのではなかろうかと思うのだ。うちの娘は小学生なのだが、娘は社会か理科の授業でそう習ったようだ。今の小学生は間伐の重要性を習うのだ。
でも、俺ら中年以上の人間はその辺りの森林事情に対する意識はどうなのだろうと思ってしまう。
森林に対して、「森林は人が手入れして管理してなんぼである」という意識を持っている人の方が多ければ良いのだが実際のところはどうなのだろう。登山をする人なんかは「山は管理してなんぼ」という意識がある人が多いとは思うのだが。

とにかく、木はある程度切らないといけないのだということを俺は声を大にして言いたいのである。
いやいや、お前に言われんでもそんなこと知っとるわというツッコミもあるかと思う。そこは申し訳ない。

話は若干変わるが、俺は日本の「木の管理がおぼつかない状況」を危惧しているのだ。
森林だけではない。街路樹なんかもそうである。
そのうち「交通量が少ない道路の街路樹は放置せざるを得ない。予算がない。利用する人間やボランティアでどうにかしてくれ。」みたいなことにならないだろうかと心配している。

木は放置すればするほど、後の手入れが大変になる。そりゃそうだ。木は成長するのでデカくなるのだ。デカくなれば様々な作業が困難になる。
放置すればするほどに木は成長して大きくなり、剪定、伐採、運搬、落ち葉の除去、害虫駆除等、あらゆる作業がより大変になるのだ。
しかも、デカくなるほどに倒木などしたときの衝撃もデカくなる。渾身の一撃をくらうわけだ。
上だけでなく下にある根もやっかいだ。成長した根は地下に埋められた水道管やガス管などを徐々に持ち上げて勾配や位置等を狂わせたり、継ぎ目を破損させたりする可能性がある。また、道路の舗装を変形させることもある。

そして、作業が大変になるということはコストが上がるということである。
木は放置すればするほどに後に撤去したりする為のコストが高くなるので、ゼニがない自治体はそのまま放置する以外にどうしようもなくなるのではなかろうか。

更に言うと街路樹だけではない。
空き家の庭木や植木なんかも放置すればするほどに、上で述べた街路樹と同じことになる。
今後、我が国では空き家がどんどん増えるわけで、そうなると適切に管理されていない空き家も増えることが予想される。
従って、今後は庭木や植木が悲惨なくらいにヤバい状態の空き家があちこちで増えるのではなかろうか。

大丈夫だろうか。
今でさえ我々の生活圏の一部を樹木たちに脅かされていると捉えることも出来るわけだ。
やがては我々の生活圏のそれなりのエリアを樹木たちに飲み込まれてしまわないだろうか。

いやいや、木が多すぎるのがホント俺は心配なのだ。
俺の杞憂に終わってくれれば良い。
適切な管理さえ出来ていればいいのだ。
でも、やはり心配だ。
我が国は管理出来ていない木が多すぎるもの。
少しでもこの心配を解消する為に俺は木を管理する知識や技術を学びたい。
養う嫁子がいなければ俺は今すぐにでも林業に転職したいくらいだ。中年だけどやる気があればどうにかなるだろう。
だが、やはり簡単に転職するわけにはいかない。お父さんの務めを果たさなくてはならない。
だから出来ることからやっていこうと思う。

とりあえずデカい斧でも買おうかな。
(結局、俺のんきじゃねえか)




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