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安心安全を求め過ぎたらダメという話

安心や安全を求めるのは当然だ。
多くの人間にとって、どうせならば、「安心でないもの」よりは「安心なもの」の方がいいし、「安全でないもの」よりは「安全なもの」の方がいい。

だが、しかし!
盲目的に安心安全を求め過ぎてはダメなんでないの?という話をしたい。
もっと言うと、この国のやたらと安心安全を求め過ぎる傾向にちょいと文句を言いたい。

安心安全の為に必要なことはリスクを排除することである。当然だ。
でも、リスクをゼロにすることは困難なことだ。
てか、基本的にリスクをゼロにするのは無理である。
にもかかわらず、我々はともすると、リスクゼロを求めてしまう傾向があるのではと思うのだ。
俺は数年前から我々の社会にそういう傾向があるのではないかと感じていた。

数年前にマクドナルドで食品に異物が混入していたというニュースが話題になったときのことである。当時のマスコミは「食の安心安全」への不安をことさらに煽っていたように思う。
そのときに俺はかな~りの違和感を感じたのだ。
いやいや、日本マクドナルドってさ、リスク管理、安心安全や衛生面についての管理は世界でもトップクラスだぜ?一体どれだけの食い物の量を提供してると思ってるわけよ?そんな中で異物混入があったとか、稀にみる仕方ない事故としか思えんわ。まさか異物混入がゼロでないと気がすまないわけ?と思ったのだ。
そりゃ、食品への異物混入なんてことは原則あってはならないことよな、とは俺も思う。
でもよ?異物混入をゼロにするのは無理だわな。
ゼロにする方法って存在しない(唯一ゼロにする方法は食い物を一切提供しないこと)。
可能な限りゼロに近づけようとリスク管理を行うしかないわけよな。
そういった認識を最近の我々は忘れてはいないだろうか?(忘れてなければよいのだけれど)

我々が安心安全を求めるのは当然なことではあるけれど、リスクはゼロにはならないという凄く当たり前なことを俺は今一度胸に刻みたいと思うのだ。

話を少し戻そう。
安心安全の為に必要なことはリスクを排除することである。当然だ。
安心安全を実現する為には、想定される様々なリスクについて、その一つ一つに適切な予防策等を講じなくてはならない。

でだ、その予防策等を講じる為には様々なコストがいるのだ。経済的なコストやら時間的なコストやら人的なコストやら、ホント~に様々なコストが必要なのだ。

つまり、安心安全にはコストがかかる。
で、それを無視して安心安全を求める傾向が我々の世の中にはあるのではないかと俺は思っているのだ。
全部とは言わんけど。

コストを無視して安心安全を求めた場合、そのしわ寄せは現場で働く労働者に間違いなく来る。
その具体例を挙げる。

コンビニや外食チェーンでは食中毒へのリスクを防止する為に手洗いや手の消毒についてのマニュアルがあるのだが、職場によってはそれらを求め過ぎるところもあるようで、手荒れが酷くなるとか。
そりゃ、ことあるごとに手洗い消毒させられたら手の皮脂膜作る常在菌もいなくなるわ。菌=悪みたいなノリになってはいないか?菌の全てがサルモネラ菌みたいなわけではないわけじゃん?
衛生面に対するマニュアルが過酷な為に、ただでさえ人手が足りない業界なのに、なかなか人手が集まらない状況もあるとか(これらは俺の知人から聞いた話)。

建設現場やプラントの定期修理の現場では安心安全の為にやらなくてはならない仕事がひたすらに増える一方であるとのこと。でも人員は変わらなかったりするので、安心安全の為にする仕事が増えた分、別の仕事がおざなりになることがあるとか。
例えば、マンホールを開けて5分程度の作業(槽内を確認したり中のバルブを開閉したりする作業)にいちいちカラーコーンを4つ穴の四隅に置いてカラーバーで囲ってから作業を始めないとダメとか(これらも俺の知人から聞いた話)。
本来は5分程度で終わる作業なのにコーンやバーを運搬する手間もある為に、5分では終わらずに2倍3倍の時間がかかったりするとか。

いや、ホント、やり過ぎはダメでしょうよと思う。
たいてい、現場にこういった負担を強いるのは立場が上の管理部門とかなわけで、自分達は「安心安全の為に様々な対策を講じています」とすました顔して対外的に言えるようにする為に現場に色々とさせているわけなんだけれど、いやいや、何らかの仕事を増やしたのならば、その分の何らかの仕事を減らさんと現場は疲弊していくか別のことがおざなりになるだけなんだけどな~と俺は思う。で、実際そうなっているところもある。

こういった構造が日本ではよく見られるのだ。ぶっちゃけ外国がどうなのかは知らんけど。

勿論、安心安全にはコストがかかることを正しく理解している企業も沢山ある(だろうと信じたい)。
でも、もし安心安全は求めるけど、そこにゼニはかけたくないなんていう世論なり企業なりが我が国にあるようならば(ないと信じたいけど)、そんな都合のよい話は無理だということを俺は叫びたい。
いやいや、noteの片隅で俺が叫んだところで世の中に対する影響力がないことは重々承知してはいるのだけれども。

とにかく、安心安全を求めた過ぎたらダメなのではないかな~と個人的に思うのだ。
その辺りへの寛容さも多少はあっていいのではないかと思う。

だらだらと色々述べたが、大事なことは2つ。

①安心安全を求めるのはいいけれど、リスクはゼロにはならない。

②安心安全を求めるのはいいけれど、それにはコストがかかる。

これらのことを改めて自分自身の胸に刻もうと思う。

因みに、俺には人生を懸けた重要なリスク管理がある。ぶっちゃけここからは話がかな~りそれる。
申し訳ない。
でも、俺にとっては日常生活を円滑にする為のとても重要なリスク管理があるのである。
嫁を怒らせないよう、また、嫁に捨てられないよう、俺は家で非常~に丁寧なリスク管理を行い、様々な対策を講じているわけなのである。
それでも、自分自身への寛容さも忘れてはいない。
つまり、自分に甘い。
今まで色々と偉そうに↑上で述べてきたけれども、いや~ホント偉そうにして申し訳なかった。
いやはや、俺は自分に甘いのである。
俺は家庭でのリスクも当然ゼロにはならないと割り切り、自分を甘やかしているのである。
で、何の話だったっけ?

ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。