外国暮らしの講師業。 今年楽しみたいこと:日常生活とことん。創作。 アウトプット練習…

外国暮らしの講師業。 今年楽しみたいこと:日常生活とことん。創作。 アウトプット練習中。

最近の記事

ブルームズベリー地区を歩きながら。

昨日、今ではすっかり書けなくなってしまったnoteを開くと、いつも楽しみにしている原さんのnoteが更新されていた。 テーマはヴァージニア・ウルフ、『灯台へ』。 その深い洞察力にあふれた記事に感銘を受けながら読みすすめるうちに、私の記憶はこの夏の英国旅行へと移っていった。 ロンドン。 私たち夫婦にとっては20年ぶりに訪れる街でもあり、娘たちにとっては家族4人で行く初めての海外の地でもある。 (いつも夫か私のどちらかが犬とお留守番をして18年)。 「せっかくなんだから、二

    • 「生産性」という信仰を、やめてみようかと思った話

      「下」の世界から来たと自覚している。 そんな私にとって、たとえ人からは笑われようとも、自分が自分にとって生産的な人間であるかどうかは、人生のたったひとつの物差しだったし、その思いは信仰となり、ほとんど宗教となった。 幼いころからそんな可愛げのない信仰をもたなければ、家族を支えられなかったし、働きながら親の借金を返しながら学校には通えなかった。 世を恨まずに大人になれなかった。 言葉の通じない場所で闘うこともできなかった。 とにかく生産的であり続けること。 昨日の自分より

      • こもれび日記【8月11日~15日】Match Point、「やれやれ」、認識と認知。

        8月11日(日) 読書日記 罪と罰ーウディ・アレンのMatch Pointがこの物語を題材としていることに今ごろ気づいた!…というか、上流階級に取り入る教養ハックとして最初に「罪と罰」読んでる主人公。 唯識の思想ー”識は必ず認識対象をもつものであり、したがって認識対象がなければ認識する主体、すなわち識もなくなる”。 騎士団長殺しーこの物語で「やれやれ」と最初に言うのは、「わたし」じゃなくて免色さんだったという驚き。 こもれび時間 NYから帰国中の教え子が超高級ヴィー

        • こもれび日記【8月8日~10日】All about my mother, 騎士団長に殺られる、オリンピック見れない、豆食。

          noteの書き方を忘れてしまってるしばらくのあいだ、ある大好きなnoterさんに習って、日記スタイルでnoteを書いてみようかと思う。 勉強会や仕事の新事案、日々頭の中で考えているテーマが多すぎて、逆になにも書けなくなるってほんとうにあるんだな。 現実が具体的、克明すぎて抽象化ができないのかな。 こういう時こそ、日々の生活のディテールを大切にするいい機会だと思った。 8月8日(木)  ・書く ・家中の床拭き掃除 ・バルコニー/工事後の片づけ/プランター再配置(終わった!)

        ブルームズベリー地区を歩きながら。

        • 「生産性」という信仰を、やめてみようかと思った話

        • こもれび日記【8月11日~15日】Match Point、「やれやれ」、認識と認知。

        • こもれび日記【8月8日~10日】All about my mother, 騎士団長に殺られる、オリンピック見れない、豆食。

          またnoteが書けるようになりますように。

          noteが書けなくなって、ひと月ぐらいたつだろうか。 理由はただ一つ。 読書会を中心としたオンライン・コミュニティーにはまりすぎて、 どこでどう発言したらどこの誰に届くのか、距離感が完全におかしくなっているからだと思う。 つくづく、時に「ひとり」しか愛せない性質だなあと思う。 コミュニティー内の先輩方(年上もいるが、私より20歳も年若い人もいる)が、きっと入会間もないメンバーは、往々にしてこんなふうに距離感が錯乱するのにも慣れていて、温かくもわりと冷静に、近すぎず遠すぎず

          またnoteが書けるようになりますように。

          ヴァーチャル・参拝

          最近お知り合いになった神社の神主さんから、『脳内参拝』というすごワザを教えてもらった。 これがもう楽しくて、ちょっとしたマイブームになっている。 小さい頃に両親といった東北旅行途中のドライブインで、「なんでもいいから一冊、すきなマンガを買っていいよ」と言われ、なぜか「舎利弗と目連 ~サーリプッタとモッガラーナ~ 釈迦の十大弟子シリーズ」という凄まじいマンガを選んでしまった私は(舎利弗がすごいイケメンだった)、それ以来、親もびっくりの仏教哲学ガールである。 よってその後の人

          ヴァーチャル・参拝

          読書と、オンライン・コミュニティーと、静謐と、読書と。

          最近、人生初のオンラインコミュニティー(OC)なるものに入会してしまった。コロナ禍ですら入らなかったのに、今更。 正直、入りたいなと思ってから実際に入るまでに、1年考えた。 それは私自身が、つながりの強いあるコミュニティー環境に生まれ育ったことに関係していると思う。その深い祝福と、恩恵と、期待と、呪いをまともに受けて育ち、その場を心から愛しながらも、ほとんど半生をかけてどうのがれようかともがいてきた。 ただただ、属するということが恐ろしかった。属することで失ってしまう自分

          読書と、オンライン・コミュニティーと、静謐と、読書と。

          世界でたったひとつの関係 4

          【前回のつづき】 「あなたには、どう見えますか」 すべての絵について、Oさんが繰り返した言葉はその一言だった。 びっくりした。 こんな簡単な問いかけを、数時間の間に何回も繰り返し訳しながら、 私は心から驚いていた。 Oさんの問いかけは、へりくだるとか、相手の意見を尊重するとか、そういう次元のものではまったくなくて、まるで心の底から、作者である自分がどう思うかなんて、あなたたちがどう思うかに比べれば、ほんとにどーでもいい、どーでもいいものなんだと、むしろあなたにとってど

          世界でたったひとつの関係 4

          世界でたったひとつの関係 3    【あなたには、どう見えますか】

          【前回のつづき】 「Oさん。どの位置が、いいでしょうか。この位置でいいでしょうか」 Oさんとのビデオ会議は続く。 どの作品を、どの位置に、どういう高さで配置するか。 大元の配置位置は、ギャラリーの見取り図に合わせてOさんが考えた。 それを二人の作業員が、壁に沿って大体の目安位置にキャンバスを持ち上げ、オーナーがそれをZoomで写し、横から私がOさんに訊いて位置を決める。 Oさんはじっと考えたあと、 「僕は、いいと思います。みなさんは、どう、思われますか。」 フランス勢

          世界でたったひとつの関係 3    【あなたには、どう見えますか】

          世界でたったひとつの関係 2    【VS 現代アート】

          【前回のつづき】 土壁を背景に、紺色の甚平を羽織ってたたずむOさんは、一日の仕事を終えた若いお蕎麦屋さんのように見えた。自己紹介をして伏し目がちにこっくりと挨拶をすると、眼鏡がずり落ちて、それを指で支えながら、恥ずかしそうにほほ笑む。 「今日は通訳を務めさせていただきます。よろしくお願いします」 「アリガトー」 「こちらこそ、よろ……」(←Oさん) 「ウイウイ」 「ダイジョブ―」 適当な合いの手を入れまくるフランスお三方をかいくぐりぬけて、どうにか挨拶を済ませ、Zoom

          世界でたったひとつの関係 2    【VS 現代アート】

          世界でたったひとつの関係 1    【物静かなOさんと話したい…】

          「あなた」を語る。 「静けさ」で語る。 なんだか防音商品のキャッチコピーみたいになってしまったけれども。 先日、日本の現代アート画家、Oさんの通訳をさせてもらって、そんな経験をした。 もともと、通訳という仕事は好きだった。 日本にいた頃はこちらが本業だった。 ひょんなきっかけから理系分野に関りを持ち、畑違いの私はけっこうな地獄を見たが、仕事を通して、ひとつの道を真摯に極めようとしている専門家に出逢えること、また、彼らの見ている世界を一瞬でも垣間見れることは、そんな苦労と

          世界でたったひとつの関係 1    【物静かなOさんと話したい…】

          これから本が届くということ。

          いつも投稿があるたびに、期待と憧れいっぱいでページを開く原正樹さんのnoteで、ウィリアム・トレヴァ―というアイルランド人作家の『ラスト・ストーリーズ』という本の書評を拝読した。 書評の内容の素晴らしさは、原さんのnoteそのものを読んでいただくとして(どうしてこんなにいつも、包括的なのに本質的な言語表現ができるのだろう)、じつは私は、その内容の深い洞察に行きつくまえの、この部分を読んだとき、すでに、自分でもまったく予想外なことに、泣きそうになった。 というか、泣いていた。

          これから本が届くということ。

          二十年ぶりに、帰省した春の日本で、 二十年ぶりに、春風に舞う桜を見た。 他の季節には帰れたのに、なぜか不思議なほど、春にだけは帰る機会がなかった。 でも、それが二十年ぶりに、叶うかもしれない。 この偶然の幸福が、私にとってはとても意味深いことだった。 ただそれだけの日記。 今年の春あたりに、両親の介護関係で日本に帰る必要がある……とわかったのは去年の秋ごろ。その頃から、かなり念を込めて暮らしていた。 桜に逢いたい。 桜に逢いたい。 桜に逢いたい。 いったい誰に向かっ

          【ぜんぜん終わってなかった!深堀り編】「散歩がつまらない」という自分が一番つまらない。

          昨日いただいたコメントから、またパッと光のついた感覚があったので、散歩シリーズに追記です。 ……ちなみに、まだ「気づき」という言葉も知らなかった十代の頃、この「パッ」と視界に電球がつく感覚を、友人二人と「ぴこんぴこん」と呼んで「ぴこんぴこん倶楽部」なるものに入会していました。懐かしいなあ。 で、今回の私のぴこんぴこん。 「散歩が苦手な自分がつまらない」という私の一連の記事について、紡ちひろさんから温かい理解とコメントをいただき、今後さらに解析したい点として「外的なものに刺

          【ぜんぜん終わってなかった!深堀り編】「散歩がつまらない」という自分が一番つまらない。

          遺さないという愛ー「君たちはどう生きるか」の主観的感想にかえて。

          言葉にしなければ、しないだけ、 言葉は錆びつき、記憶は薄れていく。 やっと二月に公開されて、先日観にいった「君たちはどう生きるか」。 感動はすこしも薄れていないのに、 時間は恐ろしいほどの勢いで記憶をこそぎ取っていく。 だから今、どんなに言葉足らずでも、ここに記そうと思う。 先立って、ある古いYoutubeを見た。 その中で宮崎駿さんが言っていたことのひとつの答えが、 「君たちはどう生きるか」だったのではないかと感じている。 Youtubeの中で語られていた、 やって

          遺さないという愛ー「君たちはどう生きるか」の主観的感想にかえて。

          【解決編】「散歩がつまらない」という自分が一番つまらない。

          おはようございます。 だいぶ前に、散歩がまったくできない自分を嘆いて、 「散歩がつまらないという自分が一番つまらない」 という記事を書きました。 やはり、アウトプットというのはアンテナを張るという意味もあったのか(蜂蜜をたっぷり塗った割り箸を二本、鉢巻きにさして歩きだしたら、蜂や蝶が見つけてくれる感じでしょうか)、その記事をあげたほんの2,3日以内に、「おおっ!」と気づきのきっかけが向こうからやってきてくれました。 すると今度は、その気づきをどうやって自分の生活にアレン

          【解決編】「散歩がつまらない」という自分が一番つまらない。