世界でたったひとつの関係 4
【前回のつづき】
「あなたには、どう見えますか」
すべての絵について、Oさんが繰り返した言葉はその一言だった。
びっくりした。
こんな簡単な問いかけを、数時間の間に何回も繰り返し訳しながら、
私は心から驚いていた。
Oさんの問いかけは、へりくだるとか、相手の意見を尊重するとか、そういう次元のものではまったくなくて、まるで心の底から、作者である自分がどう思うかなんて、あなたたちがどう思うかに比べれば、ほんとにどーでもいい、どーでもいいものなんだと、むしろあなたにとってどうみえるか、絵にとって大切なのはそれだけなんだ、と言っているようだった。
「じゃあ、私の意見を言わせていただくわね。」
あざやかに切り出したのは、フランスの女性パトロン。
満面の笑みでZoomに登場する。
「ナウシカ。Oさん。結論からいって、なんの心配もいらないわ」
彼女は言った。
「その『猫」はね、どんな場所にかかっていようと、ぜったいに視線を外さない。どこまでも私を見てる。Zoomですら、そう。だから実物は、むしろ人が見落としがちな通り道にあるのが大正解だと思うのよ。気づく人は必ず気づく。会うべき人には絶対に会える」
ナウシカの顔がぱっと明るくなる。
もう一人の男性パトロンが出てきて、
「ナウシカ。もしかしたらその『猫』は、君とその壁の関係も変えてくれるかもしれないね。それぐらい力のある絵だから、安心するといい。ねえ? Oさん、どう思う?」
「ありがとうございます」
Oさんは、恥ずかしそうに嬉しそうに、頭を下げた。
「そういうふうになったら、僕も嬉しいです」
結局、私を含むギャラリーとスポンサー全員がそれぞれの絵と位置に意見をのべて、すべての絵が落ちついたのは午後五時過ぎだった。
そして最後にぐるりとギャラリー空間を見わたしたとき、私は愕然とした。
壁に掲げられている絵の一点一点が、最初に見た時とは全く違う別物になっていた。
それはもうただの絵ではなかった。
そう。
私たちは、もう関係をもってしまったのだ。
この角度よりも、あの角度。
どうして? — その方が、あなたは優しく見える。
物語が聞こえる。
言葉が交わされる。
私とあなたの間に。
そんなやりとりを経たあと、絵は唯物としてではなく唯識として、そこに在った。
古典的な傑作といわれる世界の名画と、一般的にいわれる現代アート。
その専門的な定義の違いを私は知らない。
ただ今回、体感したのは、古典的名作として存在しつづけた絵画が、私やあなたといった鑑賞者がそこにいなくても、粛々と何百年も生き続け、これからも超然と生き続けていくのに対し、ここにあるOさんの儚い作品の数々は、今日ここに私がいなければ存在しなかった関係性の作品、少なくともそういう気持ちを抱かせてくれた作品だったということ。
夕方になり、一日の仕事が終わった。
日本からはるばる海を越えて運ばれてきた、いくつもの絵画たちは、夕闇の近づく空間の中で、しずかに夜を待っていた。
会場を出るときに振りかえると、ガラス越しに猫が、
蒼く優しい目でじっと私を見ていた。
それは私にとって、世界で唯一無二の猫なのだった。
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