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世界でたったひとつの関係 1    【物静かなOさんと話したい…】

「あなた」を語る。
「静けさ」で語る。

なんだか防音商品のキャッチコピーみたいになってしまったけれども。

先日、日本の現代アート画家、Oさんの通訳をさせてもらって、そんな経験をした。

もともと、通訳という仕事は好きだった。
日本にいた頃はこちらが本業だった。
ひょんなきっかけから理系分野に関りを持ち、畑違いの私はけっこうな地獄を見たが、仕事を通して、ひとつの道を真摯に極めようとしている専門家に出逢えること、また、彼らの見ている世界を一瞬でも垣間見れることは、そんな苦労と引き換えにしても、かけがえのない経験だった。

だが、結婚をきっかけにやってきた地で声のかかる種類の通訳は、現地の都合上、やはり外交筋の話が多く、すると、なんといったらいいのだろう、不思議な浮遊感、とでもいおうか — これはあくまで私個人の場合なのだが、魂がちょっとフライングをしたままゴールしてしまうような、知らない人のパーティーで一晩踊り明かすような、あるいは、一生懸命に話をつないでいる双方をふと見上げたら、どちらも泡人形だった、みたいな 
— いつからか、そんな感覚を覚えるようになった。

一見、輝かしく見え、内容においても外交要人や殿上の方々にもかかわれる、煌びやかな仕事ではあったけれど、このままこちらに流れてしまったら、私は私の魂を深めることはできないだろうな。
そう感じた。

それ以来、自分は自分の専門をもつことを心がけ、はっきりした目的や理由がないかぎりは、安易にお受けしないようにしてきた、そんな通訳のお仕事。

でも先日は依頼は、
『ある若い日本現代アートの画家の作品を、あるギャラリーに設置する作業工程の通訳』とのこと。

どうだろう?
一瞬考え、私はYESと答えた。

理由は3つ。

非日常が味わいたい。
私の苦手な現代アートという世界が知りたい。
極めつけは、会場となるギャラリーが旧市街の『縁とゆかり』がなければなかなか訪れられない場所だったこと。
京都の一見さんみたいな。
我ながら、動機が浅い。

それでも、魂はおもしろいと思っている。
それで充分だった。

「内容はね、とっても簡単だと思いますよ~」
と、最初に話を振ってくる人の言葉は、まあ信じてはいけない。

それは鉄則だが、実際に行ってみたら、案の定、通訳で就くべき画家本人のOさんがいなくて、まずびっくりした。
私に電話をかけてきたはずのギャラリーの秘書さんは、と探すと、今日はお腹が痛いとかで急遽お休みらしい。
いろんな意味で想像以上にアートな展開。
ぞわぞわがとまらない。

現場のスタッフによると、画家のOさんは最初から日本にいて今回はZoomでつないでの設置作業とのこと。巨大なOさんの作品だけが、船便でギャラリーに届けられていた。
幸い、ギャラリーのオーナーが社長出勤で出てきてくれて、自己紹介をしてくれないので私はずっと作業員さんと思っていたりしたのだが、なんとか事なきを得て、設置作業が開始された。

しかし、いざオンラインでつながってみると、画面の向こうには、見るからに物静かな青年画家・Oさん(本人が存在してくれて、本当によかった。『Oさんは、実は肖像画で…』とか言われたらどうしようかと思い始めていた。)本人のほかに、なぜかフランス人が3人、しかも牢獄のようなお城か、お城のような牢獄から参加しているらしく、ものすごくエコーするフランス語で、なにやらひっきりなしに叫んでいる。

まさか、現地語、英語、日本語に加えて、フランス語でも通訳をしろというのだろうか。
いやいやいや。
フランス語なんて、冬から30回ぐらい読み返している『失われた時を求めて』の最初の一文しか知らん……が、仕方がない。
ここまできたら腹をくくるか、と会議が始まったら、どうにか3人は、すごいフランス訛りの英語に切り替えてくれた。
方言の天使が君臨したみたいだった。

結局、彼らが一体誰であるのかもまったくわからないまま、Zoom会議はどんどん進み、どうもパリでお城のようなギャラリーを保有しているOさんのパトロン一家らしいとわかったのは、作業もだいぶ後半に近づいてからのこと。いやほんと、邪険に無視しなくてよかった。

だが、この3人がまあとにかく発話の多い方たちで、Oさんの作品をこちらの画面に映すたびに
「セ・ボーーーーン!!」
「トレッ、トレビヤーーーーン!!」
と、溜息をついたり、感激したり、なにしろ今にも卒倒しそうなほどに反応がすごいので、そのたびに画面がすべてフランスお三方に取られてしまって、物静かなOさんと、ぜんぜんお話ができない……

…というところで、続きはまた今度のお話に。

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