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二十年ぶりに、帰省した春の日本で、
二十年ぶりに、春風に舞う桜を見た。

他の季節には帰れたのに、なぜか不思議なほど、春にだけは帰る機会がなかった。
でも、それが二十年ぶりに、叶うかもしれない。
この偶然の幸福が、私にとってはとても意味深いことだった。

ただそれだけの日記。

今年の春あたりに、両親の介護関係で日本に帰る必要がある……とわかったのは去年の秋ごろ。その頃から、かなり念を込めて暮らしていた。

桜に逢いたい。
桜に逢いたい。
桜に逢いたい。

いったい誰に向かって念を込めているのか。
風?
天気?

両親と、仕事と、こちらの生活と、こちらの親族とのやりとりと(軽く日本の3倍はいる、百年の孤独の一族がばっと湧いてくる感覚。みんな並んで老いていくので、こっちのほうがそりゃ大変)と、日本の姉妹、甥姪、親族とのやりとり。爆速万華鏡になったような思いで、自分が回っているのか周囲が回っているのかわからないままにただひたすら願っていた。

桜に逢いたい。
桜に逢いたい。
桜に逢いたい。

でも帰国日程は、仕事をこじ開け、介護関係のスケジュールと合わせてやっと都合のついた四月中旬の十日のみ。
例年通りなら三月末である桜の開花時期に間に合わないことはわかっていた。

でもそんなの関係ないし。

桜に逢いたい。
桜に逢いたい。
桜に逢いたい。

もうここまで来たら信仰だ。
祈りだ。


思えば私は6歳の時に、たぶん当時から別の意味で認知力に問題があった両親のお陰か(?)、私はものすごく身分不相応な私立女子一貫校に入学させてもらい、ここから人生の歯車が大きく狂っていくわけだが、その入学式当日。
今も忘れぬ昭和56年4月8日。
見あげた空は天も煙るほどに桜の花で覆われていたのを覚えている。

青地に白の花柄の着物をまとった美しい母に手を引かれ、天一面に覆われた満開の枝から桜吹雪がこぼれおちてくる中を、会場である大講堂まで歩く道々。「今、私はきっと、一生分の桜を見てしまっているんだなあ」
とおぼろげに感じていた。

分不相応とか、罪悪感とか、そういう感情の名前は知らなかった。けれど、ああ私は、ほんとうはもっと人が、長い長い時間をかけて味わうべきものを、こんなにもたやすく、あでやかに見てしまったのだなあ、という感慨が胸に満ち、見あげる桜はそれはそれは美しかった。

だから、その後の人生が、予想通りのハードモードに入り、春に桜どころか樹々すら見る余裕のない暮らしをし、国を出てからも20年間、桜が見れない人生を歩むということも、どこかで心の準備はできていたように思う。


今年、関西の桜は、開花時期を10日ほどずらせてくれた。
そして、今年、桜に逢えた。
なにかがひとつのフェーズを越えたんだな、と感じた。

偶然だろう。
だとしたら、偶然に遭遇するということもまた必然なのかなと思う。
想いは通じる、とまた信じられるような春だった。

桜。
ありがとう。
今年も、あなたはとても綺麗だった。



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