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今を生きるアラサーレズビアンが、今までの恋とセックスを書いてみたわ。

月並みな産声上げて、ノンケ(異性愛者)と同じ食べ物を食べて生きてきたわ。だけど違うのは、男に対して全く性欲や恋愛感情を抱かない事ね。
人は私達を、"レズビアン"と呼ぶわ。女が好きな、女の事よ。

note初投稿だし、せっかくだからレズビアンの私が今まで経験した数多くの恋やセックスの中から一部、綺麗な上澄みだけを書いていくわ。

COVID-19による外出自粛でお暇ある方の暇つぶしになれば幸いよ。

■恋心の芽生え
初恋は、小学2年生の頃。はっきりと恋に落ちた音が聞えたわ。彼女は笑うと殺傷能力のあるえくぼが頬に浮かぶ子。友達に抱くとも違う、"触れたい"だとか"食べたい"みたいな気持ちを抱くようになったの。
ちょっとおませなガキだった私は、それが恋だと知っていた。ただ、幼心に「私は女で、同じ性別の子に恋をするのはおかしなこと」というのは理解していたわ。

私はその後も女の子への片恋ばかりを量産しては、誰に告げる事もせず、上手に胸に抱きながら進級していき、高校生になる頃には抱えきれない数の終わった片恋を思い出として消化していたわ。
何度も妄想の中で意中の女を抱いては、翌日教室で笑う相手を見て赤面したりしていた。今考えると、初心な女の子だったわね。ティーンエイジャーのレズビアンあるあるじゃないかしら。

■初めての彼女
遂に彼女が出来たのは大学生の頃。
同じ大学の、たまに授業が被る女の子だったわ。彼女は賢くて常に冷静で、計算通りの日々を過ごしているような人。目先の欲望を優先してその場限りの行動しか出来ない動物的人間の私は、そういう人に惹かれちゃうのよね。

「きっとこの子も、私の片恋の1つになる」
そう思っていたのだけれど、知り合ってから3年が経ったある日 ― 月の冴える秋の夜だった事を覚えているわ ― あるサークルの飲み会で一緒になった帰り道を2人で歩く事が出来たのよ。

お酒って偉大ね。人間が成長するに従って忘れてしまう、人間とのストレートなコミュニケーションを躊躇なく出来るようにしてくれるわ。
「ねえ、もう少し一緒にいたい、もう1杯、私の家で飲んでいこう」
満月だったのを覚えているわ。きっとあの言葉が私の彼女への「I love you」だったのね。

■初めてのセックス
初めて意中の女の子が自宅へ来たの。彼女は頬を紅く染めて、私の肩に頭を置くほどに酔っていたわ。いつもの彼女といえば、自分の身体の冷たさを悟られないように人とスキンシップを取らないように見える人よ。

私は緊張で覚めた気持ちをお酒で濁したわ。
そもそも、彼女の性的指向も何も知らない。彼女について何も知らない。そんな彼女に対して、彼女の心中を無視して彼女の唇を奪う事ばかりを考えている。

自分の倫理観の無い性的欲求への嫌悪感と、もう二度とこんな機会無いかもしれないという気持ちの葛藤を、お酒を飲むことで終わらせた。
当時の私は、本当に卑怯だったと思うわ。

彼女の唇に触れた。
(お酒のせいにしよう)という卑怯な気持ちで、(嫌われてもいい)という利己的な考えで、私は彼女に口づけした。

彼女は私からの口づけを、洋画で観るような激しい口づけでアンサーしたの。驚きと気持ちよさと酔いで、もうそこからどのようにセックスに移行したのかほとんど覚えていないわ。

ただ確かなのは、彼女が私に「私も好きだった」と言った事、冷たいと思っていた身体は嘘のように温かくて柔らかかった事、初めて女の子とセックスする私に、彼女は「いつも自分にしてるみたいにして」と言った事。

貪るようにお互いを求めあい、翌朝起きた私達は丸裸だった。
"お酒"と"夜"という人間の性的欲求をロマンチックに見せ正当化するアイテムが皆無の朝、「セックスしたという事実」だけが残る朝、理性が味方してくれない朝、本当に辛い朝。

恥ずかしさとか後ろめたさとかでいっぱいになってる私に彼女は言ったわ。
「付き合ってみる?」

■1年で終わった初めての"同性恋"
甘かったわ。いつか虫歯になって歯が痛くなり始めるんじゃないかって程、彼女との日々は甘い日々だった。"恋する幸せ"ってこんなに甘いんだって、その時初めて知ったのよ。

ただ、そんな生活が半年程過ぎた頃、彼女の様子がおかしくなった。
セックスもキスも、疎まれるようになった。放課後は毎日のように会っていたけれど、"忙しいから"と会えない日々が続いた。

しびれを切らした私はこう言った。「最近どうしたのよ、まさか、私に飽きたとかかしら?何よ、私は人間であってガムとかじゃn」

「好きだよ!好き。本当に大好き。ずっと一緒にいたい。添い遂げたいし、家族にも親友にも貴方の事を紹介したい。でも私達は日本に住んでいて、結婚が出来ないじゃない!親にも言えない。将来の事を考えると、壁ばかりが見える。貴方との子供も作れない。」

感情的に私の言葉を遮って話す彼女をその時初めて見たわ。それほど真剣だったのね。それ程愛してくれていたのね。私はレズビアンなりに幸せに生きていこうと思っていたわ。普通の生き方が出来なくっても、レインボーの旗と尻を大胆に振って代々木公園を貴方と行進する人生もありじゃない。結婚がしたければ日本にこだわる必要も無いじゃない。確かに私達の子供は作れないけれど、お互いの子供は作れるし、誰かの子供を愛情かけて育てる事だって出来るじゃない。私達は人間よ。異性愛者と等しく人間よ。ハッピーになる権利は等しくあるのよ。どうか型にはまらないで、どうか自由に幸せになろう、私と。

私は彼女へ、そんなようなことを伝えたんだと思う。

彼女は私に言ったわ。
「私はそんなに強くなれない。私はある程度型にはまらないと、幸せになれない。"型破りな恋"は辛いでしょう。私は弱いの。弱いの…。」

■P.S.やっぱり一番好きでした
彼女とはその話をして最後、お別れをしたわ。
それ以来ほとんど連絡を取り合ってなかったけれど、先日数年ぶりに彼女から手紙が届いた。手紙なんて古風な真似するわね、と思いながら中身を見ると、招待状だった。結婚式の、招待状だった。

5年ぶりの彼女からの言葉。「結婚します。」
やだ、あんた言った通り、ちゃんと型にはまって幸せになってるじゃない。それがあんたの幸せなら、祝福するわ。おめでとう。本当におめでとう。

そう思いながら、招待状に添えられた手紙には、
「P.S. やっぱり一番好きでした。ごめんね。」と書いてあったわ。

…ズルい女ね。本当にズルい女。
一番好きでも、こうしてお互いの幸せを求めていったら、離れ離れになる結末になる事もあるのね。最愛だからって、一緒にはいられないのね。

ズルい女、私も愛していたわよ。ありがとう、お幸せに。