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ショートショート 「自罰・イン・ザ・パーク」

ジョギングはいい趣味だ。
なんと言っても金が掛からない。
夜8時、俺は公園内のジョギングコースを走っていた。
体育館の外周半円をなぞるように走り抜けて右に曲がり、閉鎖されて久しい屋外プールの前を通過して都道に掛かる高架橋を渡る。
春なのでランナーの数は多い。
橋の下を見下ろせば、若者らがバスケに興じたり、ダンスしたりしていた。
公園内にドッグランがあるからか犬を連れている者も多く、なかにはボルゾイやロットワイラーのようなべらぼうに高い犬を見せびらかしている奴らもいた。
話によると、ボルゾイってのは餌代がひと月に2万も掛かるらしい。
そんな無駄金があるのなら俺を飼ってくれればいいのに。

高架橋を渡ると、ジョギングコースは30メートルほど直線が続き、それから左にカーブする。
そしてこれを曲がると全9棟で形成される高級マンションが右手に姿を現す。
マンションは、マンションの分際で、あたかも歴史的建造物であるかのように橙色の照明でライトアップされており、闇夜に浮かび上がって見えた。
公園に隣接したエントランスには守衛が常駐している。
俺みたいな貧乏人が迷い込んで来ないよう目を光らせているのだ。
建物のなかにはシアタールームや宿泊可能なゲストルームがあるらしい。
あと滝が流れているのだとか。
ぜんぶ近所の大工に聞いた話だ。

「当時、建設に反対するグループの署名活動に駆り出されてさ」
「反対してたんすか?」
「いや、近所付き合い。知らぬ存ぜぬってわけには行かねえだろ? でもギャーギャー喚いたところで、なるようにしかならねえんだよ、結局のところ」
「まあ世の常っすよね」
「そう。あそこ都立大の跡地なんだ。だからあんなでっかい高層マンションを建てられたってわけ」
「ふーん。全戸分譲なんすかね?」
「いや、賃貸もあるみたいだよ。たしか2LDKで月30万するとか言ってたな」
「癪ですね」
「まったくだよ」

この辺りは芸能人や政治家も住む高級住宅地なのだ。
俺は一番大きな棟の前で立ち止まり、その壁を見上げながら呟いた。

「30万か…」

俺の時給は1,072円だ。
すなわち1日8時間1ヶ月休みなしで働いたとしても、ここの賃料は払えない。
泣ける。
いや、笑おう。
あはは…。
こういったところに住む連中はきっと元から出来が違うのだ。
そーだ、そーだ。
うじうじするのにもすぐに飽きてしまい、俺はジョギングを再開した。
走り出してすぐ、集団がサーッと俺を追い抜いて行った。
追い抜かれるのには慣れている。
どうぞお先に。
父親、母親、息子の3人家族のようだった。
あいつらもあのマンションに住んでいるのだろうか…。
彼らは一見、理想的な家族の有り様をまんま体現しているかのように見えた。
しかしよく見れば、一点妙なところがあった。
父親がベビーカーを押しながら走っていたのだ。
家族みんなで走りたいという気持ちは分からなくもないが、なにも幼な子をベビーカーに乗せて走ることはないだろう。

俺は彼らを追い掛けた。
もし赤ん坊だったら、両親を叱り付けてやろうと思ったのだ。
5メートル、4メートル、3、2、1…。
父親に並んだ瞬間、横目でベビーカーのなかを見た。
と同時に立ち止まってしまった。
3人の背中が徐々に小さくなって行く。
俺はコースを外れて歩き出した。
そして数メートル行った先の藪に分け入り、力いっぱい自分の頬を張った。
ベビーカーのなかに居たのは体の不自由な少年だった。
なんの為の邪推…。
涙する資格もなかった。

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