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ショートショート 「差し支えないんじゃないか」

平日の午後11時、東京都内のとあるバーにて。
小説家のAと無職のことぶき寿ひさしがカウンター席で飲んでいた。
Aが空になったばかりのマティーニグラスを弄びながら言う。

「ことぶきくん。君はいつもあの、ショートショート…とかいう小説の形態を借りた悪ふざけを書き散らかしているよね? 僕は普段ああいった低俗なモノは読まないんだ。でも君に請われて読んだあの作品『転生したら原始時代だったから一瞬チートじゃんって思ったんだけど実際に話をしてみるとみんな俺より賢かった件』に限っては『文学』と呼んでも差し支えないんじゃないかと僕は思うんだよ」

ことぶきはアホづらを下げて「はぁ…」と腑抜けた声を漏らした。
Aは続ける。

「人間の本質的な愚かさがとことんリアルに描かれているからね。きっと君が人並外れて愚かな人間だからこそあれが書けたんだろう。あの作品を『白樺派の系譜に連なる純然たる私小説』と呼んでも差し支えないんじゃないかと僕は思うんだよ」

店内にはジョン・スコフィールドの「Meant to be」が流れていた。

「ことぶきくん。ジョン・スコフィールドって一般的には、あのフュージョン…とかコンテンポラリー…とかって呼ばれるジャズの傍系ジャンルにカテゴライズされるよね。僕は普段ああいった低俗なモノは聴かないんだ。でも彼が70年代の終わりにEnyaレーベルからリリースしたライブアルバムなんかは『アップデートされたビバップ』と呼んでも差し支えないんじゃないかと僕は思うんだよ」

ことぶきはまたアホづらで「はぁ…」と腑抜けた。
Aは続ける。

「知っての通り僕はフリージャズ以降のジャズをほとんど評価しないコンサバティブなジャズファンだから正直あまり認めたくはないんだけども、彼が2001年にヴァーヴからリリースした『Works for Me』なんかは悪くないね。あのアルバムを聴くと『ポストバップってのもアリなのかな…』なんて思ったりもするんだ。でもね、ことぶきくん。やっぱり彼の本領はモダンジャズ的な制約の中でインタープレイを繰り広げている時にこそ発揮されるんじゃないだろうか? さっき挙げたEnyaレーベルに残したライブアルバムを聴けば僕の言わんとしていることが分かってもらえると思うよ。奔放に弾きまくるんだけども、あくまでもビバップの語法に則っていてね。あの時期のジョン・スコフィールドは『ハードバップの正統な後継者』と呼んでも差し支えないんじゃないかと僕は思うんだよ」

ことぶきのアホづらはもはや型を失い、焼き上がったピザの表面みたいにでろんでろんに溶けていた。
のっぺらぼうと化した彼は相槌を打つ代わりに屁をこいた。
Aは眉をひそめながらことぶきの屁を評した。

「ことぶきくん。げほ…。君はいまスーパーカブのクラクションと残り少なくなったケチャップを容器から絞り出した時に鳴る空気音を足して2で割ったような奇音を発したよね。きっと大抵の人は君のことをただの無礼者と見做すことだろう。でも僕には分かったよ。君は屁を放ることで僕の批評を批評したんだ。要するに『音楽を批評することは批評に屁を放ることに等しい』とそう言いたいんだろ? 参ったよ、ことぶきくん。君の放屁は『原始仏教が説く中道の精神に則った非対立的批評行為』と呼んでも差し支えないんじゃないかと僕は、げほ…。思うんだよ」

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