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マスクを外して語り合えるように

靴下は、埃と汗が入り混じり、布は擦れて黒く光沢を放っている。
おそらくもう何週間も洗ってはいないだろう。冬場、乾燥する時期でさえ、嗅いだことのない鼻を突き破る汚臭が漂ってくる。

スエットのズボンからも、その人が動くたびに粒子というか胞子というか、空気に乗っかりぼくの鼻から鼻腔へと忍び込んでくる。その粒子は絶対に体に良くない。吸い込むと咳き込むからだ。

上着のスエットも同じように粒子を撒き散らす。臭いこそ、そこまでではないが、衣類はすべて洗濯していないだろう。目に見えないダニみたいな生き物が、この狭い脱衣所に放たれ生息地域を広げ出した。

ここにきてマスクの重要性を、コロナ以外で知ることができた。

スエットの下に着込んだ白い肌着とズボン下は、汗をかく部分の脇や股、首周りが茶色くなっている。

リハパンを下げ浴室へ向う。

頭と体を洗って精神をリフレッシュさせても、また、同じものを着てその男性は家に帰るのだ。入浴お疲れ様でした。

その人は一人暮らし。
片麻痺があって左の手と足が動かない。腕は「く」の字に曲がり鎌のように拘縮している。

自宅はゴミ屋敷と化している。
食べ終わった容器や食器は地べたに置かれたまま。飲みかけのペットボトルや使い終わったティッシュ、コンビニのビニール袋など、ゴミは一箇所に集められているだけ。ゴキブリも遊びにきている。

本人いわく「手の届くところにモノがないと生活に困る。だから勝手にものを捨てたり場所を変えないでくれ」そうして居心地の良さを保っているとのことだ。15年、このような生活をしているそうだ。
他人の介入を過度に嫌う性格になってしまったのか、もともとそうなのかはわからないが、誰もが手を出しあぐねている。

問題を抱える人ほど、介護に関わる人間としては「どうにかしなくちゃ」と使命感に燃える。介護魂がある人ほど介入したくなるのではないか。

けれどもその「どうにかしなくちゃ」と思う考え方は、果たして正しいのだろうか。
現時点でその人の生活は、命の危険があるわけではない。
とすると「どうにかしなくちゃ。綺麗な服を着て綺麗な部屋のほうがいいから、ちょっとお手伝いしますね」は、介護者の勝手、価値観の押し付けでしかない。
その人は今、ごく自然に居心地のいい部屋に住んでいて、着心地のいい服を着ているだけだ。他人にとやかく言われる筋合いはないのである。

案の定、その人と介護者の間で言い争いが始まる。

「もう、汚いから!服全部、洗濯しましょう!」
「俺が洗濯しないでいいって言ってるだろうが!余計なことするな!」

心の距離は遠ざかり、心はどんどん閉ざされていく。

必要なのは価値観の押し付けでなく指摘でもない。

共感と寄り添いが必要なのではないだろうか。

「そうですかぁ。うんうん。」

わからなけりゃ、頷いておけばいい。

相手を受け入れるのは、簡単ではないけれど。

ぼくもそのうち、マスクを外して語り合えるようになろう。
でも今は、マスクをしておかないと。正直、ちょっとキツイっす。

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