不登校時代の自宅での過ごし方
私が不登校だった頃、勉強をどのようにしていたのかについては以前の記事で紹介しましたが、
記事はこちら→
具体的にどのように、何をして1日を過ごしていたのか、この記事ではお話ししようと思います!
生活リズム
不登校だった、もしくは不登校のお子さんを持っている方の多くから聞くのが、
不登校だと生活リズムが乱れて、昼夜逆転してしまうという話。
私も例に漏れず、昼夜逆転状態の時期がありました。酷い時は夜が明けてから眠りについて、昼過ぎに起きる、という感じ。
ただ、1番時期が長かったのは、
午前2〜3時ごろ寝て、9〜10時の間に起きる、
というリズム。
これならまだいいかな、、という感じがします。
なぜこの許容範囲の生活リズムに落ち着いたかというと、いろいろ要因があったと思います。
1つ目の要因は、
母と一緒に寝ていたため、電気を消してあげないと母が寝にくいという状況であったこと。
私が夜更かししてできることといえば漫画を読むことくらいだったので、電気を消すとなるとなにもできなくて、眠るしかない。
といっても、母が電気を点けたまま眠りに落ちると、目覚めるまで読み続けてやる!と粘っては、「電気消してやー」と起きて「はーい」と言いながらまた母は眠りに落ちて、、
の繰り返しで粘ること2〜3時になるわけです笑
2つ目の要因は、
朝9時ごろからのNHKの番組を観たかったこと。
がんこちゃんやらワクワクさんやら、なんか好きで観ていました。
そして3つ目の要因は、
これが1番大きいと思うのだけれど、
私自身が朝まで起きている生活を嫌だと感じていたことです。
夜1人で起きていると色々なことを考えてしまって暗くなる一方だし、いつのまにか朝になってしまったときの絶望感と自己嫌悪を味わいたくなかった。
ただでさえ、学校に行っていないだけで「ちゃんと生きていない」気持ちがするのに、昼夜逆転生活をしているとその気持ちに拍車がかかる。
それがわかっていたので、意識的にある程度の生活リズムを保っていたのだと思います。
家でしていたこと
1日の過ごし方は大体決まっていて、
朝起きる→NHKで子ども番組や小学校の理科の番組などを観る→「笑っていいとも」などを観ながら朝昼兼用ご飯を食べる→昼ドラを観る→ドラマの再放送を観る。すると母が仕事から帰ってくる。
テレビオンリー。笑
もしくはテレビを流しながら漫画を読んだり、裁縫をしたりしていました。
裁縫は、毎月届くキットを買っていて、小物を作ったり刺繍したりしてました。
他にもディアゴスティーニの鉱物コレクションを購読していて、眺めたり読んだりしてました。
そして、たまーーーにくる爆勉強期には、これら全部飛ばして、ご飯もたいして食べずに8時から23時までぶっ続け勉強という感じ。
母が仕事の日も多かったので、とりあえず帰ってくるまで過ごすと今日終わり!みたいな感覚でした。
あとは、兄も不登校で家にいた時期があって、
その時はデュエル・マスターズやらビーダマンやらチャンバラやらテレビゲームやら。一緒にやって遊んでいました。
兄は朝起きてから夜までずっと何かしらのゲームをしてるか、アニメとかを観ていた気がします。
あとはペットと遊んだり!
兄が家にいてくれた時期は、だいぶ気持ちが軽かったように思います。
お出かけ
不登校だった頃、どのくらい外に出かけていたんだろう、、と思い返すと、
たまに母が行く買い物についていく、土日に家族でショッピングセンターに行く、晩ご飯を食べに行く、カウンセリングに行く、1年に1回家族旅行に行く。くらい。
つまり、せいぜい週1回しか出掛けてなかったわけです。
これが不登校時代の過ごし方の中で1番のミスだと今となっては思っていて、毎日すごくしんどかった要因の1つだったんじゃないかと思います。
外の空気をあまり吸っていなかったし、日光もあまり浴びていなくて、家族以外との関わりもほぼなかった。
私の性質上、できるだけ外に出ることがとても大事だったのではないかと思います。
大きくなって、「丸2日家から出ないと負の連鎖が始まる」という自分の体質に気付きました。
気持ちも落ちるし体調も悪くなるし、どんどん体も心も重くなっていく。
なので今現在は、丸2日家から出ないことは避けるようにしていて、用事を作ってでも外に出るようにしています。
という感じで、不登校生活を送っていたわけなのですが、私の場合は
・朝はある程度の時間(無理なく)に起きること
・少しでも外に出る習慣をつけること
・やりたいときにやりたいことをやること
(やりたくないときに勉強とかしなくていい!)
が、心も体も良い方向に持っていくのに大切だったんじゃないかなあと思います。
まとめてみると結構単純だなあ。
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