直感クラウド・詩を描くことについて


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ブックカバーチャレンジという、本の中身を説明せず、表紙だけを7日間毎日一冊投稿する企画に参加してます。

 

気に入ってる本なので、4日目の本日はこちらでもご紹介。


僕は詩人です。詩を描きます。

書くではなく描くを使います。


わかりやすく誤解を恐れずにいうと

 

描くときに動く直感てのがあって、
 
その直感の落としどころが

「僕」になります。

僕が描いてるので必然的に。


アウトプットするのは僕です。

当たり前ですね。
 


この直感て言うのは人類みんなのもので、

クラウド上に置いてあって、誰でもアクセスできるしパスも実はかかってない。


 

詩を描くのってその直感クラウドにアクセスできるタイミングが来るか来ないかだけだと僕は思っています。
 

アクセスしたら、それは人によって詩になったり、絵になったり、なにかのデザインになったり、物語になったりする。

 
直感クラウドにアクセスして、言葉にならないその感情や息吹や鼓動みたいなのをダウンロードして、
 
 
久世のアルゴリズムを使って、言語化すること、
 
 
カタチのない感じた心のカタチに名前をつけて受肉することを
 
 
僕は「詩をを描く」と読んでいます。
 

あくまで僕は。
 

そこでアクセスした直感を僕の形にねじ曲げすぎてはいけない。
 
 
僕が直感にアクセスして、僕が言葉に変換する時点で、もうその直感の形は僕のカタチに自然とねじ曲がってるわけです。
 
 

僕がより恣意的にねじ曲げてはいけない。
 
 
 
何も意識しないで描くこと、僕の自然な状態のみのフィルターだけを通して世界のカタチを描くこと、
 

たまたまそこにあり続けている間は直感の濾過装置として言葉を産むこの体がここにある。という感じです。

 
見る人が見れば、あっあの直感を久世が描いたからこうなったんだな。
 
ってのがコードの癖みたいな感じでわかるくらいのレベルで、
 
 

とにかく素直に直感を言葉にする。
 
 

 

 
 
でもその、恣意的に直感の形をねじ曲げないと言うことが難し。そして楽しい。

 
 

詩とは、なぜそうなのかを説明しないこと。
 

面白くしようとかは思わずただ、身体を通過するものをカタチ(言葉)にすること。
 
 
詩とはルールのないこと。
 
 
(だから上記のルールを遵守しすぎないこと。説明する可能性やルールがある可能性も捨てないこと。)
 


そこにあるものに理由なんてないんだから
 
 
理由を勝手につけないで息をすること。
 
 

息の形が詩の形。

 

 
みたいなことをこの本読みながら考えます。
 
いま新しくこーゆーのに興味持つ人が増えるといいな。
 
 

沈黙の力
カルロス・カスタネダ
真崎義博

 

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