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攻める生き方をする!と改めて決心した話。老いは将来の自分事。

知り合いの方からお母様の話をいろいろ聞いてきたんですが、“これまでの過程を経て最近至った状況について考えさせられたこと”を、書いてみたいと思います。

友人は妹さんと2人兄妹で、共に結婚しています。お母様はお父様と一緒に田舎に住んでいましたが、加齢により二人共いろいろと体の不調を感じるようになってきたそうです。

長女である友人は次男の家に嫁いでおり、長子の責任感からも、ご両親の面倒をみようとかなり前から同居を打診してきましたが、長年のらりくらりと受け流されて、イライラ、ハラハラしてきたそうです。

ご両親は田舎の暮らしに慣れており友人もいて、好きな畑仕事ができるうえ娘家族への気遣いもない、のんびりした生活が捨てがたかったようです。

そんな日々が10年程続きましたが、最近お父様が急に体調を崩されて入院。突然先々について考えざるを得なくなったお母様は慌てて、どうしたものかと気を揉んでいましたが、お父様はあっという間に亡くなられてしまいました。

お母様は一人では生活できないと、一時的に妹さんのご家族と住んでいる状態ですが、妹さんは長男の家に嫁いでおり、そろそろそちらのご両親の介護を考えなければならない状況。

友人の方も、長男さんの事情で、次男であるご主人の両親の介護に関わらなければならなくなってきたそうで、今となっては自分の母親を引き取れそうにないと。

さらに、住んでいた田舎の家は借家で、老朽化が進んできたのでそろそろ建て替えたいという話も出てきて、決断を迫られているそうです。

住み慣れた土地を離れるのは大変なことですが、もう少し早く決断していれば新しい土地にも馴染みやすかったのでは……と、結局“たら・れば”論。結論がなかなか出せず堂々巡りの中、皆で相談しているとのこと。

そのお母様の生活スタイルを聞いていて考えるようになったのが、“日々の変化のなさ“の影響です。

規則正しい生活や静かな田舎の環境は素晴らしいのですが、いつも同じものを見て同じことを続けるという毎日を送ると、元々変化を嫌う脳に拍車をかけそうだなと。

何か新しいことを始める時は不安を感じたり緊張したりしますが、それは脳が“安全でないので注意せよ”という信号を送るからで、その警報は時には誤発報する。

パニック障害がその例で、私達は時には脳を騙す必要がある、ということを“ストレス脳”という本で知りました。これについても同じことが言えるだろうと納得しました。

新しいことを始めるのは恐い、という脳からの信号を上手く無視して億劫な気持ちを乗り越え、ほんの小さなことでもいいので新しいことに目を向けてみる。

いつもと違うことをしてみる、行ったことのないところに足を運んでみる、分からないことにもとにかく首を突っ込んでみる。

これらを日頃からしておくことで、考えや感覚の硬化を遅らせることができるだろうと強く感じました。

柔軟性を保てれば、新しい環境を楽しむチャレンジ精神も生まれ、決断もしやすくなる。

“ひたすら変わらない”ということは、何もしていないようで、“変わらない”という非常に消極的な選択をしているんですよね。

無自覚にその選択をし続けてしまうと、実際にはほんの小さな溝であっても、とても跳べないと思うほどの大きな溝に感じるようになるだろうと思いました。

お年寄りについて語る時、無意識にどこかで“自分とは全く違うカテゴリの人々”という角度から話している自分に気付くことがありますが、将来の自分事なんですよね。

例えれば、友人のご両親も、友人も、私も、誰もかれも同じ方向に向かって、同じベルトコンベアーに乗っている。そのベルトコンベアーは着々と動いていて、友人のお母様と私は、乗っている位置が違うだけ。

お母様は私より少し先に乗っているというだけで、自分にも近い将来同じような決断を迫られる日が来る。

これを心に留めて日々過ごしていかねば、と改めて“攻める生き方”をしようと思うきっかけになりました。

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