愛も、道徳も、同じもの。
以前、道徳は自分がその人と仲が良いかどうかに関わらず優しくする「公平性」が必要で、愛は好きな人を特別扱いする「不公平性」を求めるから、どちらかを選ばなければいけないという問題について書いた。
授業を受けて、完璧ではないけれどしっかりとした答えが見つかったので、今日はそれについて書く。
まず、愛と道徳とは何か、考え直そう。
多くの心理学者は、愛とは、自分の欲望を満たすために感じるモチベーションのことだと説明した。誰かを好きになったら、一緒にいたい、相手の笑顔を見たい、相手にこうして欲しい、といったようにたくさん欲望が出てくる。相手のためのというよりも、自分がもっと幸せになるための欲望。
でも、哲学者のベルマンは、それは愛ではないと言った。ベルマンは、愛とは、相手の本当の価値に気がつくという態度のことだと考えた。
例えば、離婚を決めた夫婦が子供に言う「お父さんとお母さんはまだ愛し合っているけれど、でも一緒にはいられないの」というセリフが、これを表している。
一緒にいないなら、楽しい時間や手助けなど、相手から得るものはなくなるかもしれない。それでも、相手の好みや人生を尊重し大切にする。自分が得をするかどうかに関わらず、ただ相手の価値を認める。それがベルマンにとっての愛なのだ。
一方で、徳があるひと、モラルがあるひとはどんな人だろう。
それは、たとえ特別な関係がないとしても、知らない人のことを尊重できる人のことだ。哲学者のカントは、他の人が、自分と同じくらい価値がある存在だと気づくことだと説明した。
例えば、お菓子を食べ終わった後のゴミが手元にあって、誰かの庭にポイ捨てしてしまいたいという衝動を感じたとする。
ここで正しい行動はもちろん、ポイ捨てせずにゴミを家に持ち帰りゴミ箱に捨てることだ。
それがなぜ正しいかというと、自分のゴミを今すぐ捨てたいという衝動と同じくらい、他人が自分の庭を綺麗に保ちたいという思いが大切だと理解し、尊重する行動だからだ。
他人を自分の欲望を満たす道具としてではなく、自分みたいに興味や願いを持った大切な存在だと認識し、自分の欲望を抑えること。それが道徳的に行動するということだ。
ここまでくると、答えが見えてくる。
愛も道徳も、似たようなことを私たちに要求しているのだ。それは、相手を自分の欲望を満たす道具ではなく、それ自体で価値があるものとして尊重するということ。だから、この二つは矛盾しない。
じゃあ、私たちが愛する人を特別扱いするのはなぜか。愛は道徳とどう違うのか。ベルマンは愛と道徳の違いを、矛盾しない形でこう説明する。
Respect (morality) is the required minimum response and love is the optional maximum response to one and the same value.
道徳心は、私たちが誰に対しても持たなければいけない最低限の相手を尊重する態度であり、愛は希望する場合にだけもつ、最大限の尊重の形だ。
つまり、私たちは道徳的に、特別な関係でなくても、相手の好みだったり気持ちだったり願いを、自分のそれと同じくらい大切なものとして扱わなければいけない。でもそれ以上に、相手がいつも幸せでいられるために行動したり、願いを叶えるために協力したいと思うのであれば、それは愛するということらしい。
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