見出し画像

入職から約2年、ずっと辛かった大学病院を退職いたしました。

約半年前の話にはなりますが、この度約2年勤めた大学病院を退職いたしましたので、退職エントリを書いていこうと思っています。拙い文章ではありますが、お付き合いいただけたら幸いです!

期待と不安が入り混じった新生活

勤めていたのは某大学病院。学力もなければ面接スキルもない私がなぜ入職できたのかというと、卒業した専門学校の関連病院だったから。ただそれだけでした。病院から奨学金を借りていたこともあり、面接を受けてから数週間後には合否判定の紙とともに配属先の病院が決まり、私は大学病院に入職することになりました。

入職してみて感じたことは、「習うより慣れろ」といったようにやはり現場で働いてみないと分からないことが多いということ。国試が終わってからすっからかんになってしまった脳みそをフル回転させながら、これでもかというくらい先輩の技術や接し方を盗み見て学びました。

他の病院を知っているわけではないので体感ではありますが、大学病院というだけあってより高度で専門的な医療を提供していると感じました。重症度の高い患者様が多いのか、病床の回転率を上げているのか、とにもかくにも1日があっという間で走り回る日々だったなぁと今でも思います。

もちろん大きな組織だったので教育体制もしっかりしていました。頼れるプリセプターがいて、定期的に集合研修があって、ナーシングスキルなどを使っていつでも技術を見返すことができて。教育環境としては最高水準だったのではないか(?)と、改めて振り返ってみて思います。

頑張った分だけ評価をして欲しかった。だから、心が折れた。

では、なぜ退職に至るまで追い詰められてしまったのか。私の場合、「評価をしてもらえなかったから」。これが大部分を占めていました。

どれだけ頑張っても、受け持ちできる人数が増えても、新しい技術を習得しても、夜勤は任せてもらえず、日勤のみの勤務が続きました。同期だけでなく、後輩との差も広がっていく中で、毎月目標を立て課題を提出することを強要され続け、私は限界を迎えていました。いつか評価してもらえると思って頑張っていたけど、いつになってもその日は来ませんでした。

検査や手術といったイベントが多くて、限られた時間内で多くの業務をこなさなきゃいけない日勤。夜勤がないと日勤が何日も続くこともあったのですが、体力的にも精神的にもめちゃくちゃキツかったです。何よりこれだけ働かせておいて、人の命預けておいて、手取り19万円…?って給料明細を見るたびに絶望したのが忘れられません。

特に夜勤は、2年近く働いて1回もすることなく退職したのですが、夜勤を任せてもらえている同期がキラキラして見えて、私にとっては憧れでしかなかった。手当が出るのはもちろん、メンバーとしての信頼を勝ち取っている感覚が私には得られなかったものだから羨ましかったです。

同期や後輩が夜勤デビューして、たくさんの患者様を受け持ちして、どんどん成長していく姿を見るのがどんなに悔しくて、日勤しかやらせてもらえない自分がどんなに惨めで、何が足りないのか分からないまま認めてもらえるまで頑張り続けるのがどんなに辛いことか

きっと、これだけ頑張っても評価してもらえないということは、私の努力云々より実力が足りていなかったんだと思います。しかし、評価をしてもらえない職場にいても自尊心が地の底に落ち、向上心が奪われるだけで無意味だと思いったので、環境を変えることに決めました。

'' 看護 '' ってなんだろう?

もう一つ、退職した理由をあげるとすれば、忙しさに摩耗されて自分の看護観を曲げざるを得なかったことです。看護観とは「看護師として患者にどのような看護を行うか」についての考えをさします。不本意で看護師という職業を目指すことになったとは言え、私にも自分の理想とする看護師像がありました。

ありふれた表現にはなりますが、「患者さんの心に寄り添える」看護師になることです。

もちろん看護師として臨床で経験を積んでバリバリ働いていきたいといった憧れもあったのですが、どんなに年数を重ねても、看護師としての地位を築いたとしても、忙しい中でも思いやりだけは忘れずに患者さん一人一人と真摯に向き合うことだけは忘れたくないと思っていました。

しかし、私は大学病院という環境下で看護師として働いていく中で、いかにミスをせず業務をこなせるかなど、先輩から怒られないことに意識が向いていき、どんどん患者さんへの興味がなくなっていきました。患者さん自身の安楽より、自分の手間を考えるようになったり、知識を純粋な興味というよりは仕事の作業効率を上げるためのものと認識をするようになったり、入職時にはあった大切な感覚が失われていったのです。

もちろん業務の中で、患者さんから理不尽に怒られたり、ナースコールの多い患者さんに手を焼いたりと、患者さんに対する不信感や嫌悪感が生まれたりしたことも私の看護観を曲げざるを得なかった要因の一つだとは思います。

しかし、忙しくて目が回るような日々が続いていたことや指導してくださる先輩に萎縮する環境が自分をそうさせているのであれば、もう少し患者さん一人一人と向き合える環境に変えなければいけない、そうしなければ自分自身も嫌いになっていくことになると思うようになりました。

身の危険を感じた未曾有の感染症

入職してから1年ちょっとして、病院が新型コロナウイルス感染症疑い患者の受け入れを開始したため、いきなり病棟の機能が変わり、私が所属していた病棟が俗に言うコロナ病棟になりました。

コロナ病棟では他スタッフとは異なり患者さんの看護ではなく、主に周辺の環境整備など事務的な作業を任されていたのですが、先の見えない状況への不安や、罹患してしまうかもしれないという恐怖感が私の思考を蝕み、心身的に疲弊する日々が続きました。

何より一番辛かったことは、疑いで入院された患者様の陰性が確認でき、退院 or 転棟が決定した途端に、新しい患者様が入院する連絡が来ることでした。当時は今ほど感染者数は多くなかったのですが、それでも医療が崩壊してると実感できるほどに、病院の機能が停止しかけていましたし、病院全体も重い空気を帯びており、医療従事者の疲弊感も強かったと思います。

もちろん看護師として業務を任されている以上、目の前で苦しんでいる人がいたら、出来るだけ癒してあげたいと思うのですが、感染防護具も限られる中慣れない診療科の患者様の対応を迫られたり、病室への出入りが難しい状況では、思うように行動ができず、不安感の強い患者様を目の前にすると無力さを実感していました。(ナースコール頻回の患者様への対応は難しく、認知に問題がある場合は拘束器具なども積極的に検討しなければならなかったため)

コロナ患者の対応をしていても、危険手当が出ることはなく、ボーナスカット、さらには報酬なしのボランティア要請(オリンピック)まで飛んできて、元々軽視されていた看護師という職業に疑問を抱き続ける日々が続きます。テレビをつけると、看護師の人手不足問題に対して「潜在看護師を掘り起こす」という見当違いの発言や現在の看護師の待遇を無視した議論が展開されており、こちらは必死になって働いているのに涼しい顔をしたテレビの中の人に何も分かってもらえてないのか、とすごく投げやりな気持ちになりました。

今も医療の現場で、最前線で戦っている医療従事者が全国各地にいるのだと思うと、心身的に追い込まれていたとはいえ、逃げるという決断を下してしまった自分が恥ずかしく感じるし、本当に頭が下がる思いです。コロナが収束する日が来ることを誰よりも願っております。

おわりに

ずっと辛くて、辞めたくて、逃げたくて、仕方なかった病棟看護師ライフはどうにかこうにか最終日を迎え、なんとか退職することができました。夜勤できない劣等感や無力感により自責しまくった結果、心もぶっ壊してしまいあの病院で何を得られたんだろう?と思ったこともありましたが、陰ながら認めてくださる先輩もいらっしゃったんだなぁと、ツイートを振り返って思います。

看護師は'' 天職 '' じゃなかったのかもしれないけれど、ファーストキャリアに看護師を選択した自分の判断は間違いじゃなかったと思いたいし、大学病院で過ごした時間や培った知識が今後の人生においても役立つことを祈っております。

当時病みツイを連発しておりましたが、心配してくださった方、励ましてくださった方、本当にありがとうございました。時間はかかりましたが、ようやく元気になれました。新しいステージに向かってまた頑張っていきたいと思います!

時差投稿でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

スキしてみて

退職エントリ

サポートいただけたら嬉しいです♡