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大学を中退したクィアが雑誌を作った話

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世の中の当たり前に"違和感"を問いかける雑誌「IWAKAN」が2020年10月15日(木)にCreative Studio REINGより発売されます。
この雑誌は世に蔓延る歴史的、文化的に構築された目に見えない"当たり前"に違和を感じる人々に向けたもの。
5月から企画会議や制作を行い、遂にローンチすることが決定しました。
今日は僕がなぜこの雑誌を作ろうと思ったのか、少しお話したいなと思います。

編集者になりたいと夢見た15歳

そもそも僕が雑誌の編集者になりたいと思い始めたのは中学3年生の頃。当時大好きだった海外アーティストの思想を知るには雑誌を読むことが一番身近だった。そして彼らの力強く愛に溢れた言葉たちが、人と違うことを誇りに思わせてくれたのだ。僕は雑誌に何度も救われ、何度も力と希望をもらっていた。初めは好きなアーティストに会いたいから編集者になりたいっていう気持ちが強かったけれど、段々と僕らに必要な声を届けたいと思うようになったんだよね。

だけど高校、大学に進むにつれて、やりたいことも増えていき、雑誌の編集とは違う分野のことを多く学んだり、実践していくようになって。大学ではコミュニティデザインを学び、地域性の強いリトルプレス(今でいうZINE)を授業で作ることに。僕らのチームのテーマは「世界と山形をつなぐ(Glocalな視点)」みたいなテーマだったかな。このテーマに沿った対象者3名に取材、撮影を依頼し、デザインも自分たちで行い小さなリトルプレスを完成させた。僕はそのとき、僕に必要な声を彼らの言葉で聞いていた。海外のアーティストを好きになり、海外に行きたかった僕に力強いエネルギーを与えてくれる言葉を。(今のところ海外進出はまだしてないのだけど笑)そのときに改めて僕は雑誌の持つ力に触れた。自分の考えだけでは広がらない世界を、雑誌が多くの選択肢を与えてくれる。
学科の授業で個人事業主になり事業計画を立てる授業があったのだけど、その時にも「自由」をテーマにしたカルチャー雑誌の事業計画を立てていたくらい、雑誌を作りたい気持ちが溢れてた。笑

「大学を辞めたら雑誌の編集なんて出来ないよ」

僕はコミュニティデザインを学んでいた大学を2年時の終わりで退学した。
海外に行きたいという思いや、もっと自分の思想を表現したいと思い、ポジティブ円満退学。退学したい旨を一番お世話になっていた教授に話したときに、その方から「出版社は大卒が大前提なんだから、大学辞めたら雑誌の編集者になんてなれないよ。」って言われて。その教授は元々雑誌の編集長をやっていた方だから、僕の夢を見据えた上で現実的な意見をくださったんだよね。僕からしたら「大卒しか雇わない出版社で働きたいなんて思わないので結構です。」って感じだったんだけど。だけど、教授の意見はきっと正しくて、僕は雑誌をZINEという形で作ることが精一杯なのかもしれない。って何度も思ったよ。
だけど、僕は書店に行っても買えない、僕が求めてる声が詰まってる雑誌が欲しかった。「同性を好きになってもいい」「いくつになってもやりたいことを気持ちよくやってもいい」「自分を既存のカテゴリーに押し込めなくてもいい」そんな言葉を自分の中からだけでなく、他の人から聞きたかった。

国内唯一のゲイ雑誌が休刊、そして雑誌制作のプロジェクトが動き出す。

今年4月、コロナ禍の真っ只中、国内唯一の商業ゲイ雑誌「SAMSON」が38年の歴史に幕を閉じた。このニュースを見たときに僕は衝撃を受けたのだ。社会は少しずつLGBTQIA+はじめ、マイノリティに対し理解を持ち始めている(勿論今でも白石正輝区議のような知識不足故に起こる偏見と差別を持つ人々は少なくない。)のにも関わらず、*クィア(今回はゲイが対象)のための雑誌が国内で事実上"0"になったことが、ショックだった。
と同時に、この数年ずっと思い続けてきた、僕らクィアのための雑誌を今作らなくてはいけないと思った。僕らは時代と共に消えゆく存在ではないし、新たな社会を創造する人々の一員であることを僕ら自身が自覚し、発信していく必要がある
そして書店には「男性誌」と「女性誌」しか並んでいたないことも僕を困惑させていた。僕は自身のジェンダーアイデンティティをノンバイナリーと位置付けているから(詳しくは下記記事をご参照ください。)、

この二元論な景色にうんざりしている。人々の意識を変えるためには、ストーリーをしっかりと伝えることと、景色を変える必要があると僕は思ったのだ。
そう思いインスタグラムのストーリーズに雑誌作りを協力してくれる人を募ったところ、Creative Studio REINGで働くクリエイティブ・ディーバことEdoが「REINGで一緒に作ろう!」と言ってくれたのだ。

*クィア とは、元々は「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する用語として肯定的な意味で使われている。(wikipediaより)

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僕は今年に入ってからREINGやREINGコミュニティが企画しているイベントに参加していたこともあって、REINGの作るコンテンツや思想に強く共感していたから、彼らと作ることは、僕が作りたいものを作る上でとても大きなエネルギーを起こせると感じていた。そこから企画書を作り、REINGに提案しメンバーを形成(AboさんEdoJeremy、パワフルウーマンK)し、雑誌制作のプロジェクトがスタートしたのだ。

世の中の当たり前に"違和感"を問いかけるマガジン

元々はクィア雑誌の制作として動き始めた本プロジェクトは、メンバーで話し合っていく上で、クィアのためだけの雑誌ではなく、社会の当たり前に違和を感じるすべての人と共に考え、新たな未来を創造するような雑誌にしていこうとなった。なので男性誌や女性誌のようなジェンダー二元論でのカテゴライズはこの雑誌には通用しない。※はめてこようとしたら編集部のディーバたちが荒れ狂うよ?

創刊号では「女男」(単語としては"男女"と使われているが、なぜ男が先に来るのか?ここにも男尊女卑が含まれているのでは?という問いかけも込めて)をテーマに、国内外のアーティスト、クリエイター、活動家などと一緒にジェンダーに関わる作品や思想を詰め込んだ。彼らはクィアだったり、*アライだったり、フェミニストである。
スペシャルインタビューではトランスジェンダー女性であり、ドラァグクイーンとして活躍されているAllanah Starrや、国内のみならず海外でも人気の音楽ユニット水曜日のカンパネラのコムアイに取材を行っています。

アライ(ally)とは「仲間」を意味する単語で、そこから転じて「LGBTを理解し支援する方」を指します。(jobrainbowより)

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その他にも活動家である杉山文野に日本におけるトランスジェンダーを取り巻く問題について取材したページや、違和感を感じさせる瞬間を切り撮ったフォトページなど、全50ページに男女二元論に対してノンバイナリーな視点で展開してます。

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欲しい景色は自らの手で作っていける

創刊号は僕らの想いを100%作りたい形で作るために広告は一切掲載せずに制作したのですが、僕たちは2号目、3号目とIWAKANを作り続けたいと思っています。僕たちが作る雑誌に共感し、新たな社会を創造する企業やブランド、アーティストたちと共にIWAKANを作り続けていけたらなと思っています。
個人的には、こういった雑誌が書店に増えていくことで、僕たちの見る景色が変わり、意識が変わっていくと思ってる。それは雑誌だけでなく、広告や映画、テレビ番組や街なんかの景色だって僕らはこれから創造できるはず。だからクィアや、マイノリティと共に僕らが本当に必要なコンテンツを作っていきたい。非当事者の作る偽善的で商業的なものではなく、互いにリスペクトを持った作品に携わっていきたい。僕は欲しい景色は自らの手で作っていく。それが大学を中退したクィアが雑誌を作った理由。

Instagram @iwakanmagazine
@kotetsunakazato

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