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血の繋がりのない毒母に、産まれて一週間の赤子を殺された話

「そうだ!オペラを観よう。」
~第1回:ヤナーチェク作曲《イェヌーファ》

「オペラなんて私には関係ないし、読むのやめよーっと。」

 …と、お思いのそこのあなた。あなたですよ。

 まあ、そんなこと言わず、食わず嫌いせずに騙されたと思って、読んでみてくださいな。あなたにとって新たな世界が開けるかもしれませんよ。

新国立劇場で2月28日から3月11日にかけて上演されるオペラ《イェヌーファ》。本公演のオーケストラに乗っている友人から入場券を頂戴し、「舞台稽古見学会」という名の公開ドレスリハーサルを拝見してきました。

今回の目玉は、ドイツを代表する歌劇場のひとつである「ベルリン・ドイツ・オペラ」が2012年に初演したプロダクション(制作)を、舞台美術を借りたり、演出を転用したりするだけでなく、主要キャストごと引っ張ってきて上演するという点です(新国立劇場という日本のナショナルオペラハウスがやるべきことかどうかはこの際、おいておきましょう)。このプロダクションは、2014年の再演時に収録されてグラミー賞にもノミネートされるなど、評価の高いものでした。

それだけに観劇前から期待は高まるばかりでしたが、実際の上演はその期待を更に上回るものでした。絶賛しているのは、私だけではありません。いくつかツイートを引用してみましょう。

このように、オペラ好きの人だけでなく、初めてオペラを観た人まで感動を誘うオペラ《イェヌーファ》の本プロダクション。しかしながら、このオペラの内容は「分かりやすい感動ストーリー」ではなく、主人公の女性イェヌーファが「血の繋がりのない毒母に、産まれて一週間の赤子を殺され」てしまうという話なのです。何故そのような辛気臭い話がオペラを初めて観る人まで感動させたのでしょうか。その魅力を、ネタバレし過ぎないように気をつけつつ、3つのポイントに絞って紹介してみましょう。

【ポイント1】
 毒母の回想と反省

《イェヌーファ》というオペラには元から序曲や前奏曲がなく、いきなり本編に突入するという構成になっています。しかし今回の上映では幕が上がってもしばらくは音楽が開始せず、しばし黙劇が進行してゆきます。

黙劇の内容
場面は、壁一面が真っ白な部屋。ただし狭くて天井も低いため、かなり圧迫感がある(オペラ劇場の舞台自体は天井が高いのにも関わらず、極端に天井を低く舞台セットを作っているため、かなり強烈だ)。そこに灰色のゴツい扉がひとつ。扉が開くと、毒母こと主人公イェヌーファの継母であるコステルニチカが入ってくる。彼女と一緒にいるのは、どうやら警官か刑務官らしき人物だ。毒母コステルニチカは、ひとりその部屋に取り残されると、苦悩の表情を浮かべ始める。そうしてやっと指揮者がタクトを振り上げ、オペラ《イェヌーファ》の音楽がはじまりを告げる。

何も知らずに、この黙劇を観ていると「?」マークが頭に浮かぶばかりです。この場面が何を意味しているのかについて、演出補佐のアベライン氏が次のように語っています。

引用
ロイ演出の『イェヌーファ』は、コステルニチカの回想から物語が始まります。回想、反省が本作品の主軸となるテーマです。テラリウムのような舞台装置で人間関係が明確に描き出されます。さらけ出された部屋にいる人物を顕微鏡で見るような感じです。イェヌーファはこの作品の"内なる光"です。人間関係の中でも、コスニチカとイェヌーファの関係を重視しています。
〔引用元…http://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/160131_008120.html

つまり、最初の黙劇は、オペラのラストで赤子を殺したことを自白して捕まったコステルニチカが警察に連行――あるいは刑務所に収容――された場面であり、そのあとに舞台上で演じられていく内容が毒母コステルニチカによる回想であることを意味していたのです。こうした手法は、オーソン・ウェルズ監督《市民ケーン》や、スタンリー・キューブリック監督《ロリータ》で用いられたような「円環構造」と似たようなものといえるでしょう。

このように円環構造による回想として演出されていることを踏まえて観てゆくと、「第1幕ラストでコステルニチカを呼ぶために登場人物が舞台からはけていくシーン」など、いくつかの場面が息が苦しくなるほど胸に切々と迫ってくるのです。

【ポイント2】
 観察される場としてのテラリウムから見えるもの、見えないもの

演出補佐のアベライン氏は、先ほどの引用のなかで「テラリウムのような舞台装置で人間関係が明確に描き出されます。さらけ出された部屋にいる人物を顕微鏡で見るような感じです。」とも語っています。つまり、舞台セットの「狭くて天井の低い部屋」は、テラリウム(あるいは箱庭や、プレパラート)のようなもので、我々観客によって観察される場であることを表しているのです。

そのように考えたとき、テラリウムたる舞台上の「部屋」の中に、家具はシンプルな四角い机と椅子しかないため、まるで警察の取調室のようにも見えてきます。いうまでもなく取調室も、容疑者(被疑者)が観察される場であることを思えば、あながち遠い連想ではないでしょう(この椅子にうなだれて座っているコステルニチカを目にすると、尚のことそう思えてなりません)。

加えて、観客は通常――いわゆる「神の視点」に立って――、登場人物たちとは異なり物語の全体を俯瞰します。けれども、今回のプロダクションでは、毒母たるコステルニチカの回想という体になっているため、観客も基本的にはコステルニチカの視点に立って物語を観ていることになります(厳密にいえば、観客は回想の主体であるコステルニチカの反応も観ているわけですが、回想されている体のオペラの本筋は、あくまでもコステルニチカ視点になっているのです)。

テラリウム(箱庭)たる「部屋」は、コステルニチカの視点に応じて「左右」や「奥行き」のベクトルが変化して見える範囲が変化していきます。ただし垂直方向においては、常にオペラ劇場の舞台空間の一部しか使用しておらず、視覚上の制限を加えられたままになります。結局は、テラリウムから覗き観られる範囲しか観れないのです。もともと舞台にはテラリウム的要素がありますが、あえて視覚を制限することで、そのニュアンスを強調しているのでしょう。

「テラリウムから覗き観られる範囲しか観れない」ということは、つまり我々観客も、回想の主体者たるコステルニチカも、その範囲内でしか物事を知ることができないということになります。この点を強く意識しておくと、最終幕の「あの感動的なラストシーン」をより一層意義深く観ることができるのではないでしょうか。

【ポイント3】
 キャラクターの異なる人物像の「描き分け」と「演じ分け」

オペラでは、キャラクターや役割のことなる登場人物を、声域を変えることで描き分けるのが常套手段です。男声でいえば、高い音域のテノールと、それよりも低い声域のバリトン(もしくはバス)を対照的な役柄に割り振って、「若者/大人」「正義/悪」といった人物像のコントラストを作り出します。

しかしながら、このオペラ《イェヌーファ》では、恋敵である異父兄弟ラツァとシュテヴァは共にテノールの役柄なのです。もちろん、作曲家ヤナーチェクは、声域は同じテノールであっても音楽で2人の違いを見事に描き分けていますが、本プロダクションの注目ポイントとしては、歌い手がこれ以上ないほど分かりやすく、それぞれの役柄のキャラクターを声で表現していることに触れないわけにはいきません。

兄ラツァは、少し粗雑でやたらと声がでかいため、不器用で空気が読めなさそうなキャラクターであることが感覚的に理解できますし、弟シュテヴァの「逆ギレ」したときの声の上ずり方を聴けば、彼が信用に値しないキャラクターであることを瞬時に理解することができます。つまり、歌自体がきちんと演技になっており、音楽的というよりも演劇的な表現をしているのです。

他にも、一家の女主人であるお婆さんがまだ完全には老いぼれておらず、一家の実権をまだ握り続けていることも、コステルニチカが第2幕で、視野がどんどん狭まって精神的に追いつめられていくことも、イェヌーファが第3幕で諦めの境地に達したことも、歌が演技していることによって、チェコ語で歌われる歌詞よりダイレクトに伝わってくるのです。

ラツァ役のハルトマン氏によれば、こうした役作りは演出家のロイ氏と議論を重ねて練り上げたものだといいます。

引用
彼は私たち歌手の意見にも熱心に耳を貸すオープンな性格の演出家で、議論を重ねて一緒にラツァ役を丹念に練り上げていきました。イェヌーファとの関係はもちろん重要ですが、シュテヴァとの掛け合いを通して兄弟の異なる性格の輪郭が見えてくる部分が大きいので、シュテヴァを歌う歌手によってラツァは微妙に変わっていきます。キャラクター間に生じる「化学反応」にも注目していただければ、さらに舞台をお楽しみいただけるでしょう。様々な意味で極めて完成度の高いプロダクションだと思います。
〔引用元…http://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/160131_008120.html〕

兎にも角にも、一言でいえば声による表現の説得力が、驚くほど高い。それこそが、このプロダクションの最も非凡なところであり、オペラに馴染みのない人でも激しく心動かされる理由かもしれません(ヤフーニュースに掲載された本公演に関する記事でも「音楽と演劇が理想的に同居するオペラ」と紹介されていましたが、さもありなん)。

【結びに】

ここまで語ってきたように、これほど素晴らしい上演であるのですが、大変残念なことに、券売状況は芳しくないようです。初日まで残り一週間を切った段階での状況は下記の通りとのこと。

ヤナーチェク作品のなかでは一番上演回数の多いオペラとはいえ、日本ではそもそもヤナーチェクが未だにマイナーで、とっつきづらいんでしょうね。もったいない限りです。

しかしながら席に余裕があるということは、逆にいえば良いものを気軽に観ることができるチャンスとも言えます。騙されたと思って、あなたも初オペラを体験してみては?

⇒ 新国立劇場《イェヌーファ》の詳細は…
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/jenufa/


【追記】

公開ドレスリハーサルの翌日に、オーケストラに乗っていた友人とメールのやり取りをしたところ…、

ソリストの方々、どうも昨日は本調子ではなかったような…いつももっともっと素晴らしいのです!

とのことで、まだまだポテンシャルを秘めた上演であることは間違いないようです。恐るべし。

海外オペラハウスが、日本での引っ越し公演で《イェヌーファ》を取り上げることなんてそうそうないでしょうから、今回を逃すと海外の一流歌手がキャストとして参加しているプロダクションを日本語字幕付きで観られる機会はしばらくないと思われます(契約内容次第かもしれませんが、この券売状況では新国立劇場で同内容の再演は難しいでしょうねえ……)。観ないと損損。2月末から3月頭にかけて、時間とお金にがある方は、万難を排して劇場へ足をお運びください。

なお、定価20000円以上の良席が、25歳以下なら5000円39歳以下なら11000円で購入できるアカデミックプランもございます(※まだ残席があるかは、購入前にお調べください)。是非、ご検討くださいね。
http://www.nntt.jac.go.jp/ticket/general/academic/

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