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こうだからこうの世界から、この局面はこうの世界に

藤井聡太botから流れてきたフレーズがふと目に止まった。何か惹かれた。「昔は「相手に負けたくない」という気持ちの方が強かったんですけど、最近は「いままでの自分よりも少しでも強くなりたい」気持ちのほうが、強くなってきた気がします。」何に惹かれたのかはわからない。でも、よくよく考えてみると、俺なんかより遥かに若い年齢で自分の中に「昔」と「今」の時間軸があることに驚く。

「この人は俺より遥かに若く遥かに老成しているのだ」と思った。自分の中に昔はこうだったものが今はこう変化したと、きちんと整理できるものが存在したか。はっきり昔から俺が嫌いだったのは、「効率」、「自分の頭で考えないこと」。

人の言うことは自分が納得しないと丸呑みしなかったし、効率だけ重視して何か無機質で機械化していくものが嫌いだった。今だったらこの違和感をモダニズム的なものに対する自分なりの抵抗だったと整理できる。そして、整理できたらからこうも進める。モダニズムはモダニズムで受け入れないといけないし、良さはある。

例えば仕事をしていれば、効率さが求められることは充分にある。効率化を求められる仕事に自分から参加しといて効率化を拒むのはアホだ。だから、時として人は機械にならないといけない。それを認める。目標を効率的に達成したいと思ったら、モダニズムは強力な武器になる。

「自分の頭で考えないこと」も、その良さが楽であることにあるのならば、楽をしたいときには積極的に活用したほうがきっといい。俺はそれでもこうしなきゃとか、これは絶対良いのだからこうしないとと、その考えに縛られていた。自分がネガティブに思っていたものも、状況によればポジティブに変わる。全ては局面が決定するのだ。

縛られて余計な体力を消費することは、もっと大事な局面で自分の頭で考えないといけないことを誰かの頭に委ねることにつながってしまうかもしれない。こうだからこう、の世界からこの局面だからこうの世界に、力の入れ方を工夫しなければならない。それが自分を変化させていくことだと思うし、成熟するということだと思った。

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