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波乱だった過去【8・不良のまねごと】

子供時代は
とにかく寂しくて

クリスマス
大晦日
お正月
誕生日

と、普通の家族がみんなで過ごすような
行事やイベントは
必ずと言っていいほど
ひとりぼっちだった。

ひいおばあちゃんは
クリスマスや大晦日はもちろん
元旦も朝からパチンコに行くので
ひとりでお正月番組を見て
元旦早々から私はひとりだった。


だから、おせち料理なんてものを
実物で生で初めて見たのは
結婚してから旦那さんの実家で見た
26歳をすぎてから。


だからとにかく
家族の団らんが憧れで
誰かが作ってくれたご飯を
みんなで囲むのが憧れで
帰ったら誰かが「おかえり!」​​​​​
って言ってくれるのが憧れで
クリスマスを誰かと一緒に過ごすのが憧れで
除夜の鐘を誰かが一緒に聞いてくれるのが憧れで
家族でのんびりお正月を過ごすのが憧れで
誕生日は誰かが「おめでとう」って
お祝いしてくれるのが憧れで

そんな普通の憧れが
私にはたくさんたくさんあった。


だから今でも
クリスマスや大晦日やお正月や誕生日は
50歳近い今になっても
すっごくすっごく大事で大切で
主人や家族とのんびり一緒に過ごすのを
何よりも大切に大切にしている。




そんなとにかく寂しかっただけの
小学校生活も卒業を迎え
私は中学生になった。

慣れない中でも
新しい友達ができたり
まぁまぁそこそこ普通に過ごした中学一年。

そして中2になった時
それまでには居なかった友達と出会う。


親が離婚している子




今では親の離婚などよくある話だが
30年前のその頃は
親が離婚しているなんて
クラスにせいぜい1人くらい。


だから小学校のときからよく
「なんでお父さん居ないの?」
クラスメイトからも
友達の親からさえも
よく聞かれたものだった。



その度に私は
「出張に行ってるの」
何のひねりもない嘘をついていた。


今思うと
バカ正直なはずの私が
なぜそんな嘘をついていたのだろう?と
自分でも不思議に思うが
少なからずこの頃は
可哀想と思われたくない”
”差別されたくない”
という
子どもなりのプライドや
猛烈な劣等感があったのだと思う。


とにかくそんな時代だったから
親が離婚し
しかも母親が水商売をしているという
同じ境遇の彼女との出会いは
お互い運命すら感じた。

私たちはすぐに意気投合し
仲良くなった。


彼女も私も母子家庭で一人っ子という
そんな寂しい環境で育ち
なおかつ母親が
極度のヒステリックというのも同じで
共通点だらけの境遇が
私たちを一気に仲良くさせた。


孤独感や劣等感
人生の悲壮感など
心の闇も一緒。



そんな私たちが
いつも二人で決まって言うセリフ

「人生って疲れるよね、やってらんない」

たかが13歳で
人生に疲れた二人が一緒に居れば
やる事はだいたい決まってくる。


タバコ・夜遊び・万引き…


お互い門限もない家庭。

夜何時に帰ろうと誰も居ないし
深夜3時に徘徊していても誰も怒らない。



まぁ、タバコって言っても
最初はまともに吸えないから
カッコつけて吹かしてるだけなのだけど
別に学校で荒れるわけでもないし
見るからに不良というわけでも
逆に地味でもなかったが
髪をオキシドールで明るくし
タバコを吸い
悪そうなことをやり始めた。


そんな中学2年…






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