謝罪

日本画を学んでいます。

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最近の記事

職業、アイドル。

2022年8月20日、21日 ほとんどの人にとっては何気ない土日だったかもしれない。だが私にとっては一生に一度の特別な日だった。 これがTwitterで発表されてから韓国行きたいな〜でも(ビザ申請など諸々の点で)行けないな〜と大人しくオンラインチケットを前日に買い(円安で渋り過ぎて逆に300円くらい損した)当日も自覚の無いままぼんやりと18時を待っていた。しかしヲタクという生き物はオフラインであろうがオンラインであろうが、あと5分!となると物凄く緊張するのだ。自分も低気圧

    • 誕生日なのでチッケムを振り返ろうの会

      わたしの今の人生でいちばん推しているヨノさんが誕生日を迎えた。とは言っても本日は平日で学校があって制作があったわけなのだけれど、わたしは一日中推しの誕生日だと落ち着かず粘土を触る授業があったのにバチバチにネイルで受けてしまった。 おキャワでいいね。 学校が終わって普段なら直帰かぼっちで制作しているのだが本日は推しの誕生日なのでシャトレーゼにカチ込んでケーキをふたつも買ってしまった。ただダイエット中だったので罪悪感がないようにひとつは糖質オフにした。浮き足立ちすぎてVLIV

      • 描くこと

        絵を描くことはそこに存在する万物のいのちたちを掬いとって、紙という二次元的、平面的な場所に宿させる行為だとおもっている。 わたしは絵を描くとき、対象となるものをなるべくよく観察している。誤って見落として、輪郭を取りこぼさないように、丁寧に。 その万物たちは、わたしの手によって線が引かれていく度、新たないのちを紙の上に宿す。 脆く儚いいのちたち。 そのいのちたちと会話をしながらわたしは窓をつくる。 こちらの世界と絵の中の世界。そのふたつを繋げる窓。 美術館に行った時

        • 浮遊感

          このごろ、生きている心地がしない。 なんだかふわふわしてしまうのだ。地に足がついておらず、ただず〜っとそこらじゅうをふわふわと漂っているきがする。 ただ、作品を制作している時だけはじぶんがしっかりと地に足をつけて、意志を持って動いている感覚がある。この色をここに置いて、筆の動かし方は、角度は、顔料の濃さは、すべてじぶんのあたまで瞬時に考えている。 絵を描くという行為はすごい。単調に見える筆の動きも、何十何百何千と続ければ世界を作ってしまう。 ふわふわと漂うわたしを留め

        職業、アイドル。

        マガジン

        • 日記
          4本

        記事

          わたしと境界

          作品と触れ合っている時間は、わたしが''個''であるわたしでなく、''作品''としてのわたしになる気がする。 作品と一体化していく。触れたところから境界が曖昧になっていく。わたし自身が作品になっていく。そして、作品が産声をあげる頃には、我が子のような感情を無機物に抱く。 わたしは制作しているときのじぶんが、じぶんでないような気がして、まるでなにかの物語の主人公になったような気分になる。からだもおおきく、考えかたもおとなになる。その感覚が好きで、作品と向き合う時間が人一倍お

          わたしと境界

          日記(2020 9/23)

          さいきんは絵に向き合うことが多くなったとおもう。 なんのために描いているのか、誰のために描いているのか、時々考えたりする。 わたしは絵を描くことに意味なんてないと思っているし、意味はあとからつければいいと思っている。 そもそも自分の描く絵に意味を付け足したところで、ただの自分が描きたい絵になってしまう。でも言葉にまとめられるほど簡単な絵は描きたくない。今日の講評会でそれを強く思った。 自分が絵を描く理由はなんだろうと考えた。遺伝、母の影響、環境。どれもあると思う。しかし

          日記(2020 9/23)

          芸術と違和感

          今日、とある講師のはなしで思うところがあったのでそのことについて語ろうとおもう。 「芸術とデザインは全く別の方向、最早逆方向を向いている。芸術は最初から自己満足だが、デザインは最初から人の役に立とうとしている。」 この意見を語った講師は、わたしは今後一切関わらない、関わりたくないような人だった。横文字ばかりを話し、何が言いたいのか分からない一貫性のないはなしをつらつらと1時間弱話していた。 興味はさほど無かったので、不変な外の風景を眺めながら、聞き流していた。しかし、先

          芸術と違和感