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わたしと境界

作品と触れ合っている時間は、わたしが''個''であるわたしでなく、''作品''としてのわたしになる気がする。

作品と一体化していく。触れたところから境界が曖昧になっていく。わたし自身が作品になっていく。そして、作品が産声をあげる頃には、我が子のような感情を無機物に抱く。

わたしは制作しているときのじぶんが、じぶんでないような気がして、まるでなにかの物語の主人公になったような気分になる。からだもおおきく、考えかたもおとなになる。その感覚が好きで、作品と向き合う時間が人一倍おおい。


今回は、そんなわたしについて少し語りたい。

わたしの頭のなかは、常に言葉が飛び交っている気がする。「太陽の光が綺麗だな」とか「空気がちくちくするな」とかほんの些細なことだが、普通のひとなら気にしない小さなことを気に止めてぐるぐると考えることが好きだ。

例えば太陽の光ひとつとっても、朝方の低い位置にある光なのか、昼頃の教室に差し込む生ぬるい光なのか、夕暮のほんのわずかな頼りない光なのか、時間によって変わっていく。その変化を感じられるようになったのは絵を描いているおかげだ。

それでもわたしはどこにでもいる普通の女子大生だ。ひとより少し絵について興味をもっているだけで、ほんとうに、どこにでもいる。

それでも、わたしがここまで絵を描くことに執着するのは、きっと心を奪われてしまったからだ。絵を描くことだけじゃない、そこから生まれる感性、人間関係、苦悩や達成感。すべてに。


筆を一筆一筆動かすごとに、だんだんと作品がわたしになっていく。わたしが作品になっていく。そのすべてがわたしの糧となって、頼りなかった細腕に肉をつけ、次の色を選んでいく。

わたしが世界を作っている。


大層なことを言っているが、上手く描けずにべそをかいたり、自暴自棄になることもしばしばだ。まだわたしはおとなになれない。万物を冷静に処理できない。

自我と理性の間で苦しむ赤子だ。あかちゃんなのだ。

どの色がどの色と相性がいいなんて知らない。わたしはわたしの色を選んでいく。それがきっと、わたしの唯一の色だから。唯一の世界だから。

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