kosodate_handi

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夏休み-軽度知的障害の娘

 2回目の夏休みがきた。小学校1年生の時の夏休みは、いろいろと不安があった夏休みだった。夫婦フルタイムで共働き、祖父母の実家は遠方。祖父母も働いているので預けられない。そんな中、毎日子供をどこに預けるか、そして療育と学校の授業に追いつく取返し期間と捉えていた。  誰よりも支援が必要なのに、何かしらハンデをもっていない子よりもケアが出来ていない。ドタバタだった。ただ昨年はできる範囲で療育と勉強をやった。    2回目の夏休み、しっかり遊びもさせてあげたい。今年も同じように過ごす

    •  給食が美味しくて、友達がいれば学校は楽しい

      昔、療育の先生がおっしゃってた。給食が美味しくて、友達との関係が良好なら学校は楽しいと、不登校にはならないと。 運動が出来ない、勉強が出来ない、発達に遅れがある子供は毎日、劣等感と戦うことになる。けど、周りとの友人関係が良好なら学校に行ける。 問題は低学年のうちは良いが、学年が上がるに連れてのコミュニュケーションは課題になり、時に周りから仲間外れにされる時もくるかもしれない。 だからこそ、親として複数の逃げ道を子供に用意してあげたいと思う今日この頃です。 放課後デイサー

      •  分類される息苦しさ

         息苦しさを感じる。毎日、娘と周りの子の違いに打ちのめされる。小学生なのに園児の様な癇癪を娘と接する度に、このまま逃げたくなる時がある。  親として向き合い幸せにしたい気持ちと、仕事だけしてたら楽なのにという気持ち。 自己嫌悪と合わせながら、諦めた方が楽になるのでは。。と思えることもある。 日本が生きづらいのか、学校という型からはみ出たらもうそこで人生詰むみたいな変な圧力。 本当はそんなことはないし。生きるってそういう事じゃない。 けどこの分類社会の日本では、何に分類

        • 会社に出社し、残業をして帰る月曜日。願うのは我が子が無事に学校で過ごせたかどうか。。  一部の保育園では実施されている様に学校の授業もカメラで遠隔で見れるようにならないか。。 確かに今から30年前はそんな事は考えもしなかったろうけど、昭和、平成をえて今は令和。

        夏休み-軽度知的障害の娘

        •  給食が美味しくて、友達がいれば学校は楽しい

        •  分類される息苦しさ

        • 会社に出社し、残業をして帰る月曜日。願うのは我が子が無事に学校で過ごせたかどうか。。  一部の保育園では実施されている様に学校の授業もカメラで遠隔で見れるようにならないか。。 確かに今から30年前はそんな事は考えもしなかったろうけど、昭和、平成をえて今は令和。

          机に座り授業を受ける(軽度知的障害)

           今まで何も疑問に思わず自分が受けてきた学校教育。小学生と保育園の大きな違いは、周りと同じことを場を見出さずやること。 定型発達の子からしたら当たり前なのかもしれない。立ち歩くなんて信じられないと思う。 皆と同じ様にやらないこと、それを咎める子は多い。子供達は純粋ゆえに、残酷にはみ出す子を咎める。 学校教育も和を見出さず、一定の学力を持つよう子供を教育していく。 けど、自分にも言わせて欲しい。 人はそれぞれ違う。違うって事は罪なのか? 子供達それぞれの個性があるのをまるで

          机に座り授業を受ける(軽度知的障害)

          休日の過ごし方(軽度知的障害の子供)

          皆さんはお子さんは休日は如何お過ごしだろうか? 習い事に通ったり、レジャーに連れて行ったりと色々かと思います。ただ同じ低学年の他児童と違い、我が家にとって休日はいつの間にか学校の補講日の様になってます。  まず毎週土曜日は療育に通い、発達に問題がある子たちが勉強を学ぶ所にも行ってます。 日曜日は体を動かす習い事をさせ、あとは子供に合わせた家庭学習。。 そして自分達、親の事ではなく、子供のことを心配してサザエさん症候群になります。 子供は来週無事に学校から行けるだろうか、何

          休日の過ごし方(軽度知的障害の子供)

          自己肯定感(軽度知的障害)

          色々な本を読んだり、療育を受けても耳にする言葉、自己肯定感。これは一般の子供、大人にも言われることだけど、具体的に何でそこまで大事なのか分からなかった。 もちろん自分で自分を肯定出来ないと何事にも挑戦出来ない、それは分かってた。 けど、発達障害や知的障害を持って壁にぶつかりやすい子供達にはもっと切実な問題なんだと気づいた。 挑戦する意欲を保つためにも自己肯定感があった方が良いというのは、ポジティブな、十分条件のイメージがある。けど何かしらの障害を持つ子には叱責が続いてく

          自己肯定感(軽度知的障害)

          足し算(軽度知的障害)②

           小学校2年生の娘、学校では筆算が容赦なく始まっている。しかし、繰り上がりの足し算においては筆算の数を縦に足していくやり方の方が苦労が少ないようだ。 12+15=と横文字を並べられると思考停止になるが、筆算にして縦に足すというやり方はやりやすい様だ。 ただ問題は筆算であっても一の位、十の位があること、そして10溜まると次の位に上がる理解をさせないといけない。我が家では位取り表を作ってブロックを触らせてカウントさせている。 本質なのかもしれないが、知的遅れがなくても実物に

          足し算(軽度知的障害)②

           運動療育(軽度知的障害)

           以前に神経の発達と知的発達について触れた。手先の器用さは、知能と連結するからだ。ただいきなりピアノを習わしても効果はない。  まずはレベルに合わせた粗大運動。 今日ら我が家でやっている粗大運動の事例を幾つか上げたい。 ①首上げ。  首は脳と最初に神経を繋ぐ要。腹筋をする様に頭だけ上げる。首を上げるのだ。これにより、神経との伝達する力が上がる。神経は体の中心から手先の細部へと流れる。 ②指と指の間でミニボールを掴む。 ③薄いタオルを机の上に上に置いて指の力だけで、段々と巻き取

           運動療育(軽度知的障害)

          時計の覚え方①

           軽度知的障害のある子が苦手とする概念の理解。算数と並んで苦手となるのが、時間の理解。 つまり時計を読めて、理解するということ。 まずは時間の概念を教えてきた我が家のstepを共有したい。 [第一STEP] 朝、昼、夜の理解。これは外に出て日中を過ごす事で比較的理解は難しくなかった。 [第二STEP] 長い針と短い針を読む。ここでまず躓いた。子供には目に見えた数字しか言わない。つまり時間の目盛しか言わない。認識しない。長い針、短い針を区別は出来ても全て時間を言う。  つまり

          時計の覚え方①

           娘の気持ち

          支援級に通わずに普通級に通う毎日、どちらが娘にとって良いのだろう。  毎日、学校でどの様に過ごしてるのだろうか。泣いてないだろうか?日々そんなことを考えながら仕事をする。  コロナが落ち着き、世の中は昔の勤務形式に戻る。今まで娘と夕食を取れていたのが、週1回に。会社にいる間は無理やり仕事に全てをかけることになる。。  学童で娘が死にたいと叫んでたと知った。胸が張り裂けそうだ。もう娘が起きている時間には帰れない。  娘の気持ちに寄り添わないといけない。 仕事なんてしてる場合で

           娘の気持ち

           足し算(軽度知的障害) ①

          算数の足し算、これは小学校1年生ではとても苦労した。いや、いまだに苦労している。数という見えない概念を操るのは知的に遅れがある子には難しい。 まずは数を数えられるようにして、数と個数の対を理解させるところから。 そしていよいよ、足し算に入った。足し算のやり方は、幾つか方法がある。 まず軽度知的障害や発達障害の子供によく使われる?のが、①カウント方式。3+2であれば、3、4、5と数える。娘は+3まではこのやり方でいけた。このカウントであれば、10を超える足し算もクリア出来る

           足し算(軽度知的障害) ①

          認知能力(軽度知的障害)

           軽度知的障害を持つ我が子にとって苦しいのが認知能力だ。特に実態がない抽象概念を理解するのが難しい。  これにより時間や数えられない繰り上がりの計算などでつまずく。  この認知能力に関係してくるのが、空間把握能力だ。前後の認識するから上下左右を理解し、空閑を把握していく。  これはパズルをしたり、障害物の上り下りから力をつけていく。 個人的にはボルダリングのようなもので力がつくのではないか?と考えている。 ボルダリングの効果はまた検証して、記載したい。

          認知能力(軽度知的障害)

          体幹と神経発達(軽度知的障害)

           ピアノをやると頭が良くなる、またはピアノをしている子は頭が良いということを昔ぼんやりと聞いた。  自分の子供を育てて、この事で気づいたのは神経の発達だ。神経の発達は最後は手先まで広がる。知的に発達が遅い子は神経の発達が未発達で、手先が不器用である。その為、療育でも手先の運動などもする。 ただいきなり手先の運動をしてもあまり効果はなく、粗大運動から手先の発達へと人間の発達はうつる。 そしてこの粗大運動こそ、体幹があってこそ。 だからこそ、まずは体幹を鍛える事が最初になる。

          体幹と神経発達(軽度知的障害)

          いざ公園へ

           今を振り返ると早期療育というのは本当に大事だと思う。わが子も3歳から週1回の個別療育に通わせていた。ただ療育機関と妻に任せきりであった感は否定できない。仕事の忙しさに逃げていた。  運動療育と難しい言葉を使う必要はない。運動療育の効能、うんちくを語るのはまたにしたい。ただ伝えたい。親、特に父親に必要なのは子供を公園に連れていき、思いっきり一緒に遊具で遊び、走り回ること。 動物であっても遊びの中から狩りの仕方を教える。  新しいデジタル機器に囲まれて、つい楽なものに逃げる

          いざ公園へ

          GW、世間ではお出かけのニュースが流れる。けど、我が家では毎回、GWなどの大型連休は遅れを取り戻す為の勉強&療育強化期間。 遊びに連れていきたい私と妻の切迫感で対立。今年もお出かけはなし。。😭

          GW、世間ではお出かけのニュースが流れる。けど、我が家では毎回、GWなどの大型連休は遅れを取り戻す為の勉強&療育強化期間。 遊びに連れていきたい私と妻の切迫感で対立。今年もお出かけはなし。。😭