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『やった気になってはいけない!』ことはない【始めの一歩と好循環】

「やった気になっていてはいけない!」

なんて言葉がある。

目標を叶えるためには、やった気になっているだけでは駄目らしい。

確かにそう思う。

たとえば、

  1. 副業でお金を稼ぎたい

  2. 有名大学に受かりたい

  3. プロスポーツ選手になりたい

と言った夢を叶えるためには、それに見合った努力をするべきだ。

サッカー選手になりたい人が、必ずしなければいけないものはなにか。

ボールを蹴ることだ。
プレイをするのが大事だ。

サッカー選手になりたい人が、いつまでも座学でフォーメーションの研究ばかりをしていては、絶対に夢は叶わない。

サッカー選手になりたい人が、いつまでも座学をしていて、『やった気』になっていては駄目なように、それに見合った正確な努力をしなけば、目標は達成できない。

だからこそ、やった気になっていてはよくないのだ。

「やった気になってばかりでは、絶対にうまくいきません」
「私も昔は酷い遠回りをして、心身ともに疲れ果ててしまいました」
「しかし、私は正確な努力の方法を知りました」
「そのおかげで今は、何不自由しない生活を堪能しています」
「正確な努力をするために必要なノウハウは、こちらの概要欄から!」

…というのが、成功者や、自己啓発本やら、インフルエンサーやら、ビジネスコンサルの人たちがいう主張だ。

間違っちゃいない。
決して間違ってはいないのだが、本当にやった気になるのが、そんなに悪なのかと思う。

この世の中には、やれない人間もいる。
まずスタート地点の、『やる』を遂行できない、僕のような人間も存在するのだ。

だからこそ、僕のような人間には、やった気になるのがまずなによりも大切なのではないか。

そんなことを思う。

好循環のきっかけになる

やった気になるメリットは、『好循環のきっかけになるから』

やった気は、好循環のきっかけとして最適だ。

なぜなら、やった気になって自分を肯定すると、その先の努力をするのがたやすくなるから。

たとえば、noteを軸に副業で稼ぎたいと思うとする。
その場合には、どんな正確な努力をすればいいだろう。

  • どんな記事を書けばいいか

  • どんなブランディングをすればいいか

  • どんなコンテンツを作成するか

を考えるのが、正確な努力だ。

noteを軸に副業で稼ぎたい人が、僕のようなただの日記のような記事を書き続けていても、意味はない。
ただ日記のような記事を書き続けていては、『やった気』になっているだけだ。

しかし、多くの人はその前の段階でつまずくのだ。

noteを軸に稼ごうと思っている人に大事なのは、文章を書くことだ。
しかし、書けない。

多くの人は、僕も含め、まず前段階で挫折してしまう人が多いのだ。

だからこそ、まずは、やった気にならなければいけない。

noteで言えば、毎日日記のような文章を書くのが、やった気だ。

毎日日記を書いていると、やった気になる。
やった気になると、自己肯定感が高くなり、また記事を書きたくなる。

また記事を書きたくなれば、文章を書くのが苦じゃなくなる。
どんどん書いていくうちに、文章を書くのが楽しくなる。

文章を書くのが楽しくなって、やった気になれば、その後の収益化方法にも考えが及ぶようになるだろう。

つまり、やった気になるという、一歩目を踏み出すことによって、好循環を回せるというわけだ。

『やる』ができない人は、まず始めに『やった気』になるのが何よりも重要だ。

始めの一歩は、やった気でいい

ということで、始めの一歩は、やった気でいい。

やった気になるのはよくない!!

という意見を聞くのは、まずやった気になって、好循環を回せるようになってからでいい。

もちろん、そのままずーーーーっと、やった気になっているだけでは、前に進めない。

どこかのタイミングで、正確な道筋の努力を始めないと、何事もうまくいかないのは確かだ。

これは、現在の僕のnoteのことでもある。

せっかくやった気になって、好循環を回せるようになったのだから、次のステップに移らないといけない。

あなたの現状はどうだろうか。
もし、あなたがなにかに挑戦できずに、『やる』ができていない状態なら、
まずは、『やった気』になってみるのはどうでしょうか

なぜなら、『やった気』は好循環を回す、力強い最初の一歩になってくれるはずだから。

ということで以上です。

お疲れ様でした!

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