発信は「それ思ってるのお前だけだから!」くらいの偏見がいい
情報発信するなら、偏見がいい。
なぜなら、当たり前のことを言っていても目立たないから。
当たり前のこと、一般常識のような発信は誰の目にも止まりません。
だから、「こんなこと思ってるの自分だけだろうな」
くらいの発信をするのがちょうどいい。
「こんなこと思ってるの自分だけだろうな」
と考えていることは、実は広いネットの中では、そこまでレアなことじゃなかったりする。
少数ながら、必ず自分の気持ちに共感してくれる人はいる。
うん、偏見を抱えている人は少数派なんです。
少数派は、少数派であるがゆえ、なかなか自分と同じ意見の人に会えない。
だから、いざ自分と同じ意見の人と会うと、嬉しくなる。
そして、その絆は強くなる。少数派の仲間の絆は強い。
うん、だから、情報発信するなら、超偏見くらいがちょうどいいんだ。
誰かに合わせたような情報発信するくらいなら、叩かれて炎上するくらいの偏見を言ったほうがマシ。
まぁ、実際、炎上するほどの偏見なんてなかなか言えないです。
それは、度胸がないからじゃなく、炎上するような意見がないのが普通だから。
それに加えて、基本、誰もあなたの意見なんかに興味はないから。
だから、情報発信するなら、あなたが考えている意見を、臆せず言ったほうがいい。
「それでほんとに炎上なんてしたらどうするんだ!」
と思われるかもしれません。
しかし、炎上するということは、自分の意見が誰かの耳に届いたということ。
それが、炎上目的の意見ではなく、本当に自分の意見であれば誰かの耳に届いたことを喜ぶべき。
突破口が見えたと喜ぶべきです。
結論、なにを言いたいかというと、
「良い子ちゃんのフリして情報発信しても、誰の耳にも届かない。だから気にせず、自分が思ったことを発信しよう。」
ってことです。
うん、僕もそうします。
「良い子」になっても得なんてない。
良い子歴38年の僕が、自信を持って主張します。
誰かに合わせてばかりの「良い子」は、絶対に幸福をつかめない!
臆せず自分を出すこと。これが、幸福への第一歩なのです!
…
…あれですね。幸福とか使い出すと、急に胡散臭さ、宗教感が出ますね。
以後気をつけよう。
ではまた!
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