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選択しないを選択すると人生詰む

こんにちは、コーシローです。
今日は『選択しないを選択すると人生詰む』というテーマで話したいと思います。

なにを言っているか。
たとえばあなたがA案とB案で迷っているとします。

通常2択のはずの問題ですが、実は3択目があることがわかりますか?
はい、それが『選択しない』です。

この3択目の『選択しない』という選択。
実は人生に多用しすぎると、かなり危険な状況になるんです。

僕はこの『選択しない』を多用した人生を送ってきました。
そのせいか、僕の人生はなにかつまらない人生になってしまっている。

『選択しない』は、人生を不幸にしてしまう可能性があるんです。

『選択しない』は最大の悪手

そもそも、この場合の選択するとはどうゆうことか。
選択ってみなさん日常でしていますよね。

たとえば、お昼ごはんにラーメンをガッツリ食べるか、それとも控えめに、バナナ1本で済ませるかなどの選択です。

「あぁ、ラーメンなんてガッツリしたものを食べたから、午後は眠くてしょうがないよ…。選択間違えたなぁ」

なんて経験がある人もいるかと思います。
そう、僕たちの毎日はこんな小さな選択の連続です。

毎日毎日、僕たちは様々なことを選択して生きている。
その中にはもちろんハズレもあればアタリもある。

選択するということは人生の確認作業。
そのなかでも、第3の選択肢、『選択しない』は最大の悪手です。

なぜなら選択をしないことで、そこには成功も失敗もないからです。
よく言いますよね。失敗から学ぶことが大事だって。

『選択しない』は正解はおろか、失敗にすらならない。
全くもって自分の成長につながらない選択肢。それが『選択しない』です。

選択しない人生を送った結果

僕はこの『選択しない』を小さな頃から多用してきました。
僕には6つ上の姉がいるのですが、小さな頃の選択権は完全に姉でした。

見たいテレビは、姉が見たいテレビ。
買いたいゲームは、姉がやりたいゲーム。

そこに僕の決定権はありません。
まぁ、ここで僕が、

「お姉ちゃんの好きなものばっかでいやだ!」

なんてことを言えればよかったのですが、そんなこともない。
むしろ僕は姉が色々選んでくれることに、安心感すら感じていました。

そんな僕にとって、自分で選択しないということは、当たり前になります。
何かを決める時は、必ず誰かの意見に乗る。

僕の中で、大事なものは誰かが選ぶもの。
そして、誰かにその選択肢の意味を考えてもらうことです。

たとえば、高校を選んだときも、

「ほとんどの友達が近くの高校に行くから自分もそうする」

と思い、高校を選びました。
まぁ、実はこれはまだ良い方。

極めつけは、大学です。
僕が大学を選んだ理由はまさかの、

「友達が行くから」

です。
そんなヤツありえないですよね。

高校ならまだしも、大学を決める時に『友達が行くから』なんて選択をしている人はほとんどいないでしょう。
それほどまで、僕は自分で考えて選択するということができなかったんです。

そんな自分で考えることができない人間が、社会に出るとどうなるか。
答えは簡単、

『路頭に迷う』

ことになります。
そう、僕はそんなこんなで、自分で『選択しない』という選択をした結果、引きこもりになりました。

もちろん『選択しない』ことだけが原因では無いかもしれませんが、かなりの要因を締めていることは間違いありません。

選択しないを選択すると人生詰むんです。

理由なんてあとから考えたって良い

解決方法です。
あなたが、人生を棒に振らないため、路頭に迷うことが無いように僕が言えることは一つ。

『自分で考えて選択しろ』

です。

「でも、僕は考えることが苦手だし、決断力もないんだよ…」

なんて人もいますよね。
大丈夫、選んだ理由なんてあとから考えたって良いんです。

その場で考えることが苦手なら、選んだあと、後付で理由をつけましょう。
それに大層な理由なんて必要ない。

もういっそのこと、

「僕がこっちを選びたいから選んだんだ!」

なんて、小学生の言い訳みたいなことでもいい。
とにかく自分で選び切ることが大事です。

間違っても、

「あの子が選んだから私もこっちを選ぶ」

なんて理由だけは、辞めましょう。
そんな理由は理由じゃなく、思考停止のぶん投げです。

思考停止で選択権を委ねていると、僕のように自分がよくわからない人間になってしまう。
自己効力感は人生に置いて不可欠です。

「僕の人生は僕が決めるんだ!」

という覚悟がない人には、幸福はやってこない。
そう、僕は僕みたいな人を増やしたくないんです。

僕みたいに、なにか漠然とした不幸せを感じている人を増やしたって良いことはありません。
あれです。僕は僕のような不幸せな人が周りにいてほしくないから、こんなことを言っている。

不幸せは人に移ります。
ならば、周りが幸せな人ばかりなら、自分も幸せになれるんじゃないか。

そんなことを思うんです。
だから、僕の願いは、周りの幸福ということになる。

僕は僕のエゴのためにみんなに幸せになって欲しい。
だから、みんなには『選択する』人生を選択してほしい。

僕も微力ながらそうします。
年だからとか関係なく、これから選択することを心がけて生きていくことにします。

ではまた。

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