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【小説・読むセラピー】あなたが世界を愛する日(2)

前回の小説はこちら。

「ひとまず次に怒りがわいてきたら、ゆっくりと大きく深呼吸をして、『この怒りは、今、目の前のことが原因ではない』と自分自身に言ってくださいね」
と優は千果子に伝えた。
「すぐにはおさまらないかもしれないです。けれど、その言葉を繰り返すことで落ち着いてくるはずです」
「そうですよね。ありがとうございます。ちょっとやってみます」
千果子はホッとした顔になっていた。
「それでも何かありましたら、またご連絡くださいね」
優は笑顔で、ワントーン明るい声をかけた。
「はい」
千果子は、ふーっと息を吐き出した。周囲の空気もふーっと和らいだ。

「小鳥先生」
「はい」
「笑顔がすてきです。声も明るくて。話していて、なんだか元気が出ました」
「それは、よかったです」
「こんな悩みなんて、ないんでしょうね……」
千果子のつぶやきに、優は目を丸くする。
「そんなこと、ないんですよ。私もいろいろあります」
優は苦笑いをする。
「そうですかぁ。そんな風に見えないなぁ」
優は笑った。
「悩みなんてなさそう」とよく言われる。
外見と内面のギャップが大きすぎるのだろう。自分ばかり、なぜこんなことに…と被害者意識が突然出ることもあれば、あの人はいいな、それに比べて私は…と他人をうらやんでしまうときもある。
それを表情にも言葉にも出さないだけなんだけどな、と思う。

玄関のドアを出ていく千果子の後ろ姿に、優は深々とお辞儀をした。
「この機会をいただき、ありがとうございます。どうぞ、千果子さんの望む未来になりますように」と心の中で祈る。
ドアの閉まる音を聞き、2秒おいてから顔を上げた。
これが優にとって、セッションの締め方だ。

優はこの世界には「大いなる力」があると感じていた。世界そのものを動かしている神様のような存在。大きい手で背中を押してくれたり、道を拓いてくれたり、必要な人を連れてきてくれたりする。大きな流れという感じでもある。
優は特定の宗教を信じてはいないのだが、大いなる力が存在するのは信じている。
やることを全力でやった後は、その力にお任せするのだ。
それが一番うまくいく。
優は、振り返って部屋を眺め、空気を感じた。全体的にあたたかく、まるい、穏やかな気が満ちている。チラッチラッと光の粒子が舞っている感じがする。
今日のセッションはよい時間だったという感触がした。

一方で、カウンセリングをやっているのは優自身ではない。優はそう思っている。
優が頭で一生懸命考えて、話しているのではない。クライアントの話にじっくりと耳を傾けていると、どこからか考えが降りてくる。その言葉を忠実に伝えているだけ。
自分自身の力ではない。とても不思議なのだが、本当にそうなのだ。

*  *  *

今日のセッションが終わり、優はモードを切り替えた。自宅サロンも、自宅モードにすっと切り変わる。
キッチンに行き、夜ご飯を作り始めた。

目を閉じて「何が食べたい?」と心に聞く。
肉? 魚介? 肉がいい。サクサクッとした食感。とろみのあるあったかいスープ。トマト。カリっと焼いたパン。赤ワイン。
おおまかにメニューを決めて、キッチンに立つ。

冷蔵庫から唐揚げくらいの大きさに切った鶏肉を出す。鶏肉は醤油と酒に漬けてあった。片栗粉にカレー粉を混ぜて、鶏肉にまぶす。フライパンに油を少しだけ多めに入れて火をつけて、油があったまったところに鶏肉を置いていく。ジュジュー、パチッ、パチパチ。衣がはぜる音がする。ああ、いい感じ。途方もない安心感。

房付きのミディトマトを2個取り出し、1個を放射状に6つに切る。ちょっと難しいのだが、このくらいの大きさがいちばん食べやすい。ガラスの平皿にトマトを並べ、オリーブオイルをかけて、粗い粒の塩をパラパラとかける。
缶詰のコーンスープを小鍋に入れ、同量の牛乳を注いで火にかける。市販品を使うのは手抜きなのだが、便利でおいしいからそれでいい。
昨日買っておいたイギリスパン6枚切りの1枚をトースターに置いて、スイッチを入れた。

鶏肉がいい感じでカリっと焼けて、こうばしい香りがしてきたので裏返す。ジュジュッ。カレーのスパイシーな香り。幸せだと感じる1瞬である。
コーンスープの鍋がプツプツと小さい泡が出始めたので、火を止める。スープカップに注ぎ、乾燥パセリをふる。
鶏肉を皿に取り出し、パンを木の皿に載せた。スープ、トマトサラダもテーブルに並べる。

キッチンには珍しく床下収納がある。扉を開くと、インドの赤ワインがあった! ボトルを1本取り出す。インドの赤ワインはピリッとスパイシーな味わいで、今日のカレーチキンに合いそう。
スクリューキャップをひねって開け、ワイングラスに注いだ。
「乾杯!」とつぶやいて、グラスの中の香りをかぐ。深いコク、甘酸っぱさ、スパイスのピリッと感! ひと口飲むと、心地よいクセがある。
「インドっぽくて、期待を裏切らないなぁ。もうホントに」
優は目を閉じて味わい、口角を上げて微笑む。口に広がる果実の豊かな味わいと、ふわふわっと鼻に広がる香りが消えるまで、ゆっくりと味わう。この数秒は至福であり、贅沢でかけがえない。
優にきちんと機能する健康な目、鼻、口があり、それらを統合して深い味わいを感じさせる脳があることに、心から感謝する。
「幸せだなぁ」

カレー味のチキンを食べる。衣がカラッと揚がっており、口の中でサクサクとよい音を立てた。カレーの香りがプンと立ち、鶏の弾力ある肉からジューシーな脂がにじみ出て、かむほどにしょうゆのうまみを感じる。
スパイシーな赤ワインを飲むと、とても良くマッチして、さらに味わいに広がりが出た。
「もう、私最高!」
ワインボトルのラベルに描かれた太陽のイラストは、「そうだろ」と言いたそうに陽気に笑っている。
ワイン売り場の女性ソムリエは大きな瞳を輝かせて「このワイン、スパイシーな料理と合いますよ」と言っていたが、本当だった。信頼できる。またお店に行ったら、報告しよう。

トマトを1つ口に入れ、酸味でさっぱりさせる。
イギリスパンをちぎって、コーンスープにドブンとつけ、スープをしみこませて食べる。お行儀が悪いと分かっているが、この食べ方が好きだ。
ワインを飲むが、コーンスープの甘さとは少し合わないかもな、と思う。口直しと言っては変だが、また鶏肉を口に入れ、咀嚼し、ワインを飲む。
「この組み合わせ、やはりいい!」
幸せ感にひたる。

優は瞬間を取り逃がさず、味わうことを大切にしていた。
1瞬1瞬を味わうこと、楽しむことは、人生全体を味わい楽しむことにつながるからだ。
(次回に続く。少々お待ちください)

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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