「言葉と歴史と文化」考03

幕末ポンチ絵

「歴史と文化に対する冒涜」で思い出した。

そういえば昔(1990年代)、
パルマの音楽院(コンセルヴァトーリオ)で
語学授業での課題として
「イタリアの地場産業」
がテーマとなったとき、
その授業に出席していた一人の日本人留学生が
「私はオペラを学ぶために
 給費留学生としてイタリアに来たのだ。
 イタリアの地場産業などには、
 私は一切興味がない。」
と、
先生・学生達の前で堂々と述べ、
彼らを黙らせてしまったという。

私はこの話を後日
その留学生自身の口から
直接聞かされたのだが、
本人はまるで自慢話のように
得々として語っていたので、
彼にすれば、なにか
「自分の主義主張を貫き通した」
「カッコ良いことを言った」
つもりだったのだろう。
この話を本人から聞かされた私も唖然とした。
彼は
「先生も言い返すことができなかった」
と言っていたが、
言い返さなかったのではなく
ただ、あまりのことに
皆、絶句してしまったのだろう。

なぜなら
産業(経済)の基盤なくして
文化が育つはずもなく、
彼が学びたいと言ったオペラは
その文化の粋を集めたもの。

その意味において
彼が皆の前で主張したことは、
上辺のみ「オペラを学びたい」と言いながら
オペラの背景となる文化を根底から否定し、
それらを学ぶことへの拒絶・拒否を
自ら宣言したに等しい。

その国の社会を知り
その国の歴史を知り
その時代のモラル・価値観を知り
その上で
台本の言葉を精査しなければ
符丁として書かれた
言葉の示す意味など
どうして理解することができようか。

「ルチアはエドガルドと恋仲でしたが
 兄によって別の男と結婚させられることに。
 ルチアはエドガルドを慕うあまり
 とうとう気が狂って
 結婚した男を殺してしまいました。」

「浅野内匠頭は吉良上野介にいじめられ
 怒りのあまり江戸城内で刃傷に及びました。
 この罪で彼は切腹、お家は断絶の憂き目に。
 大石内蔵助をはじめとする浅野家の家来たちは
 主君の無念を晴らすべく仇討ちを誓い
 吉良邸に討ち入って、見事本懐を遂げました。」

この程度の浅い知識で
歌ったり演じたりすることができるほど
オペラも歌舞伎も、
底の浅い舞台芸術ではない。

(児童に芝居の粗筋を説明するなら
 この程度でも良いのかも。
 とはいえ
 小学生でも高学年ともなれば
 この程度の浅い説明では
 もはや満足はしないだろう)

※ ※ ※ ※ ※

ここに面白い漫画絵がある。

幕末に開港した横浜にて
居留民相手に発行されていた
漫画雑誌「ジャパン・パンチ」の
慶応2年1月号に掲載されたもの。
この絵のタイトルには
「ユナイテット・クラブでの若い日本人」
と記されている。
(ユナイテッド・クラブは当時横浜にあった社交場)

上は後の書生スタイルの基となる
スタンドカラーのボタンシャツであろうか、
その上に背広に似せて丈を短くした羽織をつけている。
下はズボンに似せて細く絞った袴に西洋靴。
右手には酒のグラス、左手には葉巻、
隣の西洋人に向かって得意げに語りかけているが
フキダシに記されているのは
「I like only civilization. (私は文明だけが好きです)」
という文字。

この漫画絵は、
当時の横浜居留区に出入りする
好奇心旺盛な日本の若者達の多くが
「目に見える西洋文明の産物」のみに強い興味を示し
それらを生み出す母体である「思想・文化」には
さほどの関心を持っていないことを喝破し
批判する構図となっている。

この幕末に描かれたポンチ絵の日本人と、
20世紀末のパルマでの日本人留学生の話と、
その間に130年もの年月がありながら
その行動形態はほとんど変わっていない。

ポンチ絵を描いたバーグマンが感じたように、
そこにある種の稚拙さ、
未熟さを感じ取ってしまうのは
私だけではないだろう。

(写真は雑誌「ジャパン・パンチ」掲載の挿絵。キリンビール編『ビールと日本人』(河出文庫)より転載)


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