「常に限界を発揮しないと気が済まない」という感覚について
お疲れ様です。
今日でようやく働き始めて1週間が経ちました。
意外と早かった気がしています。
最初の社長との面談で自分のスキルや今後目指したい業界・業種の話をすると、「じゃあ、ほとんどの人は最初データ入力からスタートするんですが、よかったらSNS代行運用とかネット記事作成とかやりますか!?」と言われて、「はい!ぜひ!」と二つ返事で返しました。
そして、今日までデータ入力をしています…。
なんだこの仕事、と思いながらひたすらコピペするだけ。
最初は仕方ない、やるべきことを少しずつやろうと思っていたのに、段々と不満が溜まってきて、純粋にやりたくないという気持ちが出てきます。
そして、厄介なのは、どう考えてもエゴイスティックなそうした考えによって不眠がひどくなるという悪循環が起こることです。
先週はほとんどろくに眠れず、今週はスムーズに寝つけても2時間に1回目が覚めて、しばらく眠れなくて…を繰り返しています。
さらに、昨日から簿記3級の勉強を始めました。
仕事は4時間半で終わるので、終わったら家事をする以外の全ての時間を勉強にあててきました。
その結果、2日目で170ページも進み、良い感じだと思っていたのですが、今日明らかに仕事中に頭が回らなくなって、仕事終わってから数時間ダウンしてました。
彼女からは呆れた様子で、ちょっとは加減を考えてやりなと言われました、全くその通りです。
仕事も自己投資も自分の限界を常に求める癖があるようです。
楽な仕事なのに自分の持つスキルを充分に活かせなくて嫌になるし、勉強も全ての時間を注ぐせいでその後体に悪影響が出てくる。
文章に書いてみると、愚か、という一言に尽きる気がしてきました…。
ただ、実際の感覚としては、自分にできる全てを行わないこと、限界を出せないことにものすごい違和感というか、嫌悪感があるんですよね、何なんでしょうねこの感覚って。
なぜ嫌悪感があるのかと聞かれても、何も答えられない気がします。
多分、フロイト的にはこうした感覚は前意識的な問題なんでしょうが…まあ、わかりません。
ただ、アドラー心理学的に目的論で考えてみると何かわかるかもしれません。
(目的論とは、ある心理状態になったのは何らかの目的を達するために自分がそう選択している、という考え方です。)
常に限界を発揮しなければならない、ということの目的は以下のようなものかなと自分では思います。
・「がんばっている」という他人からの評価を得やすい
,それ以上の力は出せない、というある意味の自己保身
こうやって書き出してみると、少なからず他人からどう見られているか、ということを気にしているように思えます。
多分、他人がこの世に1人もいなければ、僕は何もかも全力でやる!なんてことはしない気がします。
また、全力を出すことが必ずしも評価につながるわけではないし、「それ以上の力は出せない」ことが自己保身になるかというと…それも微妙です。
全力を尽くす、意外で人から認められるような自分の考え方を何か身につけないといけないですね。
少し話は変わりますが、僕はA型作業所に通いながら向き合わなきゃいけないことを改めて今痛感しています。
ひとつはうつ病という障害のこと。
もうひとつは、自分を生きづらくさせる自分の先入観や偏見、考えを知り、それを変容させていくこと。
最後に、自分のキャリアをもう一度考え、将来に向けて自己投資していくこと。
こうやって書くと段々と焦りが募ってきます。
世間にはこうしたことに早く向き合い、立派に社会で活躍している同い年の人がたくさんいる。
…いけないいけない、こうやって仮想の他人と自分を比較するのもやめるべき考え方ですね。
簿記も勉強したいし、本も読みたい。
あと、前から書いてきました、クリエイターさんや本についての記事を書くことも始めたい。
やりたいことがあるのに、自分がついて行かない感覚がします。
前も書いたんですが、焦らないように、少しずつやっていきます。