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服選びで悩むのはナゼ?-素朴な疑問#4

(今日の文章は長いよ。気をつけて。)

私たちは日々、洋服を選んでいます。裸族の人は今はちょっと置いておいて…

さて外へ出かけるとき、今日はどの服を着て行こうかなーって選びますよね。
時にこんなことってありませんか?

「あぁもう、着ていく服がない!」

あの現象ってなんで起こるのでしょうか?

急に素朴な疑問が湧き出てきたので、探求してみました。

まず考えられるのは、数量の問題
所有する洋服が多すぎるがために、選択できない状態に陥っている。
選択肢が多すぎて、決まらない優柔不断パターン。

しかし、よく思い出してみてください。
私たちがさっきのセリフを言った後にする行動といえば、
「新しい洋服を買いに行く」ことが多いです。

あれ?わざわざ洋服の数を増やしています。
そして数が増えても、また数ヶ月後に「洋服がない!」って叫ぶのです。

…と言うことは、数量の問題ではないのかもしれません。

その疑問について、服飾を学んでいた友人に尋ねてみました。
すると「自信のある人ほど、服が少ないのでは?」と言われました。
なるほど…その路線で考え直してみましょう。

スティーブ・ジョブズは似たようなシャツとジーパンばかり着ていました。
彼を例に挙げれば、確かにそうです。

でも、自信を持って輝いているように見えるハリウッド女優は、どうでしょう?洋服をたくさん持っているイメージです。

ここで視点の転換をしてみました。
「独自の規律(判断基準や優先度)がある人は、悩まない」のでは?

では、その規律とは何でしょう?

私たちが物事を判断する時、2つの判断力で行動しているような気がします。

1つは、TPOを考えるなどのアタマによる理性的判断
もう1つは、その日の気分などココロによる感情的判断

この二つがちぐはぐな時、ジレンマが起きている時、
私たちは悩むのではないでしょうか?

それを踏まえて、服選びの話に戻りましょう。
例えば、「今日は社長さんと会う」から、スーツやジャケットを着ていくとか。
例えば、「今日は雨で気温が低い」とあれば、半袖ではなく長袖を着るとか。
例えば、「お葬式だから」喪服を着ていくだとか。
例えば、「遠足で軽登山をする」から動きやすい格好だとか。
例えば、「今日はデートだから」可愛い服にしたいとか。

スーツやジャケットの件は、何となくその方がいいかな?って他者の目線を気にしているからであって、でもネクタイとか靴とか靴下とか、たまには遊んだ柄もいいかなぁなんて個人の感情が入り込んだりして、(理性90:感情10)の割合なのかな。
制服があれば、制服を着ていれば良いのでとても楽なんですけどね。

雨の日の長袖の件は、今日はこのお気に入りの半袖Tシャツが着たいのに、気温的に寒すぎるからなぁ…となって、理性と感情が拮抗している状態。
感情が高い時は、半袖にカーディガン羽織るでいいし、
理性が高い時は、長袖のコーディネートに変えたらいいんだ。

スティーブ・ジョブズのように、自分に核を持つ人、マイルールがある人は(理性0:感情100)かもしれないし、
お葬式の喪服みたいな、習慣や伝統に対して自分の意見を入れない(機械的反応)の時は(理性100:感情0)だったり
…みたいに割り切ってしまう時は、悩むことないんだろうなぁとか。

まぁ、0と100くらい極端である必要はないですが、
精神の成熟度が高い人は、確かに着る服は限定されていくのかもしれません。

でもそうやって悩み苦しんでいる姿が、1番人間らしくて良いかもなぁって私は思います。

道ゆく人々もクローゼットの前で同じように悩んで選んだ結果、今日はその服装なのかなぁ…なんて妄想してにっこり、ほっこりしています。

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