「どこでもドア」はあるべきか、否か。(2分弱 682字)
仕事柄、出張がたまにある。
しかし出張時に限って、他の業務が立て込んでいたりもする。
ノートパソコン一つでどうにかなる作業なら移動中に出来るかもしれないのだが、そうもいかないらしい。
そして今回は、出張先が電車の駅がないエリアなのだ。
最寄りの駅まで電車で行って、そこからバスで…タクシーで…
お時間かかりますねェ…
この移動時間がっ!無ければっ!!!と思ってしまう。
そんな時、心の中で叫ぶ。
「ドラえもーん!どこでもドアをくれー!」
*
私が思うに、どこでもドア的なビジネスはJRがやれば良いんじゃないだろうか?
どこでもドアが本当に開発されてしまえば、鉄道・輸送業界は大打撃だろう。
だから、今現在駅があるところまでテレポーテーションできて、その管理運営を鉄道会社がすれば、ウィンウィンなのでは?と。
(じゃあ、トラックの運転手はどうするんだ?って話にはなるけど…)
まぁ現実問題、肉体を分子分解して、向こうの地で再編成する話になってくるから、難しいよな。笑
(身体が分解されるとか、シンプルに怖い)
画一的なモノは生成できるかもだけど。
やっぱりバーチャルまでなのかな。
*
あと、どこでもドアがある弊害も考えた。
それは、1分単位で仕事を詰め込めるようになってしまう点だ。
打ち合わせ終わりましたーハイ、次の打ち合わせ場所ですー。みたいな。
場所から場所への移動時間。家と職場の行き来の時間。
この空白の時間が0になってしまうと、休息時間がなくなり、人間は精神的に壊れてしまうんじゃないだろうか。
1分1秒を無駄にすることを責められる。そんな世の中は嫌だ!
*
だから便利とは怖いのだ。
世の中が便利になればなる程、
私たちは動物的人間ではなくなるような気がする。
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